創作

面白い話しをして、面白いことを書きたい。   

面白い話しをしたい。面白いことを書きたい。ぼくは自分に甘かった。一人でなんでもやっていれば、ぼくに対して否定どころか、文句や悪口を思う人なんて誰もいるわけがなく、ただただ甘い世界に居たのだと思う。 別に今日、なにか否定されたわけではないけれ…

小説に挑む

「ハックルベリー・フィンの冒険」という小説を読んでいるのだけれど、読み進めることに難儀している。新潮文庫の村岡花子が翻訳したものなのだが、別の人の翻訳だと読みやすいのだろうか。 物語は苦難の連続で、話しがあちこち飛ぶ、その上主人公のハックは…

書くことで仮説を立て、話すことで洗練される。

ブログに書いたり、人に聞いたりすることと、自分で人に話すことは違う。話すことが最も高度であり、話すことが本物である。それに対して、書くことの多くは偽物であり、嘘も少なくない。 偽物や嘘というのは、口に出すには憚れること、いざとなったら口に出…

ボカロネットで遊んだ。

歌詞を入力するだけで自動で作曲をしてくれて、しかもボカロが歌ってくれる「ボカロネット」でボカロPを始めた。 ・ボカロネット:http://net.vocaloid.com/・参考記事:http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1408/04/news118.html 10年以上前だろうか…

何を語るのか。ではなく、どう語るのか。

ぼくは自分がやっていることをあまり人に話さない。自分のやってることを意気揚々と話すことを恥ずかしいとさえ思っている。親兄弟にも、自分が何をしたいか、今ぼくが何をしているかを話したことがない。聞いてこないのだから言う必要が無いと思うところも…

換骨奪胎。構造を見抜き、他に置き換える。

換骨奪胎とは、物事の構造を抜き取り他の事柄に置き換えることをいう。 大辞林:〔「冷斎夜話」による。骨を取り換え,胎児を取って使う意〕 古人の詩文の発想・形式などを踏襲しながら,独自の作品を作り上げること。また,他人の作品の焼き直しの意にも用…

辿り着きたい場所の高さを知る。

勉強をしたり人から教えを請うと、自分では考えられなかったことに気づかされる。そのときは興奮状態であることもあり、これを聞いたからに自分にもできるのではないかと、意気揚々と歩き出そうとする。 しかし立ち止まってみると、縦に細長い土台の上に立っ…

「おもしろさ」を見抜く。そして作り出す。(岩崎夏海クリエイター塾)

「岩崎夏海クリエイター塾」という、岩崎夏海さんが人生で身につけてきたクリエイトの方法論を教える塾に通い始めた。元々はお笑いスクールでやっていたことを、お笑いに特化せずに広めたいという思いがあって始められたそうである。ぼくは岩崎夏海さんのメ…

言葉にすることで、確かなものになる。

よく分からなくなったら、そのよく分からないことを説明してみるといいと、ぼくはよく会社のなかで言っている。実際にそうしている人はあまりいないようだけど。メールを書くにも資料を作るにも、とりあえず書けることは全部書いて、そのあとに、いわゆる必…

短歌を詠む。選歌が楽しい。

ぼくはときおり短歌を詠んでいて、昨年、勢い余っていくつかのコンクールに応募していた。その勢いが落ち着き、次の展開はと考えていたところ、インターネットの歌会というものを見つけた。元々歌会には興味があったのだけど、組織というかコミュニティに入…

過程を明らかにする勇気が欲しい。

ぼくは今まで何かをすることの過程を明らかにしてこなかった。なにか結果が出てから初めて表明する。悩みや葛藤がなくなるまで一人で考え抜いて、勝手な結論を出す。 人間味というのは過程にあるのだと考え、このブログは自分が生きている過程にある葛藤みた…

素直になりたい。

昨日ぼくが「素直になれない」ということを書いたら、今日の岩崎夏海さんのブロマガで、成長する人は総じて「素直である」ということが書かれており、慌てて素直になろうと思ったのだった。 [無料公開記事]成長する人としない人のたった一つの差(2,116字):…

書き手と読み手

書き手が自分の書いたものを理解することと、読み手が他人が書いたものを理解することは、動作が異なれば思考回路も違うのだから、相入れるはずがない。 ぼくは自分の考えを示すとき、どこまで書くことが正しいのかわからなくなる。むしろ、自分の考えをなど…

小説を学ぶ(「主人公」とは)

小説というものは、自分の感性に任せて書くものなのだけれど、そのためには小説のルールを知ならければならない。スポーツのようなものと同じで、あるスポーツが上手になるかは自分の運動神経にかかっているのだけれど、それ以前にそのスポーツのルールを知…

想像力を広げて創造力を高めたい。

ニュース(実際の出来事)の本質を読み解き、フィクション(物語)のアイディアにするということについて、はてなブックマークでコメント(感想・意見)をいただいたので、すこし考えてみた。コメントはぼく個人に対する問いかけではないため転載はやめてお…

ニュースの本質は、フィクションのアイディアになる。

ぼくはできるだけ使い捨てとなる情報やニュース、まとめサイトは読み込まないようにと思っているのだけれど、知っておくと良いニュースがあると、最近スタンスを改めている。それはどういうニュースかというと、時代を読み解くことができるニュースである。…

なぜフィクションを書くのか。

昨日、このブログ以外に小説や短歌を書いていると書いた。そこに書くのを忘れたのだけれど、ノベルゲームも作っている。ノベルゲームといっても、ぼくはどうにも絵が書けなく、また音楽もつけられないので、サンプルの画像か無地の背景で文章だけを書き綴っ…

向き合っていれば、思いつく。

小説を書いている。その傍ら、短歌を詠んでいる。最近このブログが緩い感じなのは、小説や短歌を優先してしまっているからなのだけれど、ブログには小説や短歌を書くこと自体についても書きたいと思っている。なぜ、こんなことをやっているか。自分でも分か…

壁にぶつかるのではなく、横にずれる。

昨日、岩崎夏海と美濃部達宏のトークイベントがあった。 岩崎夏海は元放送作家で、今は作家やユーチューバー(?)をやっている。美濃部達宏は現役の放送作家である。そしてのこのトークイベントは、両氏の放送作家としての師である秋元康の話と、美濃部達宏…

ノベルゲームをつくりつつ、ノベルゲームをふりかえる。

ゴールデンウィーク中に、ふとノベルゲームを作成するフリーソフトであるR9(http://r9game.com/)というソフトを目にして、作成する環境を整えていた。環境作りはいたって簡単で、基本的にテキストエディタとブラウザがあればいい。公開も簡単、ウェブサーバ…

書き直す(リライトする)ことを始める。

最近はブログや短歌を書いていたけれど、これからまた小説を書きたいと思っていて、以前書いていた小説の書き直しを始めている。 小説家である重松清がライター名義の田村章として出している、中森明夫、山崎浩一との対談+ブックガイドである「だからこそラ…

「生き延びる」ことと「生きる」こと

生まれてから毎日を生きる、自分が生かされているということも知らず、生き延びる手段も知らない、そんなただ生きていたときを終えると、人は学校や社会で「生き延びる」手段を学ぶ。一度学び始めたら、それを終えることができなくなる。なぜなら、生き伸び…

評価に振り回される前に、毎日なにかをやろう。

物事には評価がつきものである。100点、100%と評価を量で考えたり、○○より△△、△△より××、と比較することで、物事の程度を評価をする。本当にそれらを数値化し評価することに意味はあるのか、意味はあったのかと、思うことがある。たとえばテストの点数は、0…

文章を書いて、世の中に割り込みたい。 / 「本当の仕事の作法 」(内田 樹、名越 康文、橋口 いくよ)

今日は、内田樹と名越康文と橋口いくよの対談集「本当の仕事の作法」という本を読んでいた。ぼくはまずこの本の「はじめに」と「あとがき」を読んだ。ぼくはこういう読み方をすることが多い。この本でいうと、「はじめに」は名越康文が書いていて、「あとが…

自意識の外側、言葉の世界。

ぼくには言葉しかない。ぼくを存在させる言葉以外の意識を消し去らなければ、このように言葉で文章書いたり、世間に出て言葉を発することができない。 ぼくは物体としての自分がどうしても受け入れられずにいる。コンプレックスの塊だと言ってしまうのは簡単…

「note」を始めた。

開始当初から購読していたcakes(http://cakes.mu)が始めた新しいサービスnote(http://note.mu)に登録した。 ぼくのページは、https://note.mu/yuwa である。もし同じように登録した方などがいたら、フォローして頂ければと思います。(今日始まったばかりで…

創作の源泉を過去の因果にみる。

ぼくは素直ではない。素直なことが言えなくて、本当の自分のことがわかって欲しいとか、思っている人間である。素直にならないぼくは、求められてもいない演技をする。本当の自分を出してしまうことを恐れている。本当は、その「本当の自分を出していないと…

芸術ではないものに感動しなくてもいい。

ぼくは情緒が苦手だと思っていたけれど、実はその逆で情緒がないとだめだということに気づいた。情緒の土台を情景とするならば、ぼくは情景を書かずにはいられない。情景というのは、見たそのままや感じたそのままを書くことではない。見たことの背景や、感…

貢献するために、勇気さえあれば。

ぼくはあまり「あたりまえ」のことを言ったり書いたりしたくないと思っていた。 会社関係では「会社のためになるという意味で、あたりまえのことしか言わないしやらない」ことから、楽をしている気がして、ぼくにとって決して楽しいことが多い場所ではないと…

「創作している自分」を書いている。

ここ数日、個人的にやっていたTwitterを控えて、Twitterにつぶやこうとしたぼくのことを書き溜めていた。すると、つぶやかないで捨ててしまうようなことも、「自分」という枠を外せば、1つの文として、ぼくが書いたものになることに気づいた。Twitterにつぶ…