特に主義主張もなく、物事をそれなりに受け入れて、
相手が変わったら、自分が変わればいい、と僕は思っている。
僕はどんなことでも、受け入れて、考えて、
自分の考えかた、立ち位置を自分だけのものにする。
相手の思うようには、僕は考えていないと思うし、
期待に応えられないのが怖いけど、
これからは、あまり強がらずに、色々考えていきたいと思う。
色々考えていると、一般的にはどう考えられているのか、
とか、他人は何を考えるのか、自分の考えが正しいのか、
と、あまりに考えすぎる。
それが僕の特徴であり、その代わり、仕事や勉強を片づけるは早い。
とはいっても、考えすぎるのも仕事が早いのも、
僕の個性かな、と思います。
僕は、良いことも悪いことも、
好きなことも、嫌いなことも、
経験したことも、しなかったことも、
どんなことでも、想像できるようになっていきたい。
少なくとも、一般論くらいは語れるようになるべきだと思う。
よく一般論とか綺麗事を語るらしいですが、
それが正しいと知っていることは、大事なことだと思うのです。
正しいことを知っているから、
正しくないことに価値が生まれるのだと思う。
僕は正しさなんかどうでもいいので、それが正しいフリをする。
固定観念を変えるためには、正しいことを知るしかない。
でも実は、その正しさは、とても曖昧で、あまり好まれない。
正しいのに好まれない。
間違っている方が、自分にとっては正しいと思うことが、個性である。
そもそも考え方に、正しい、間違っている、というのはないのだけれど。
価値基準を作るのが世間なので、正しさというのは、単なる基準なのだと思う。
なんだかよく分からなくなってきましたが、
物事は、知っているに超したことはないということです。
あとは自分の基準で考えれば、誰かが判断してくれるでしょう。
好きか嫌いかを。