SNSは言葉だけの世界である。

SNSは言葉だけの世界である。否定的な言い方をすればSNSで人間関係を築くことはできない。しかし築かれている人間関係においてSNSを介して会話をすることはあるし、SNSで会話をしたきっかけで人間関係を築くことができる可能性はある。

人間は言葉だけで支えあうことはできない。支えあうには体が必要なのだ。別に男女の肉体関係のことを指しているだけでなく、人が実体を伴うには、その実体ごと支えられることが必要となる。確実にそういう関係にいる必要はなく、可能性があるだけでいい。しかしその可能性がゼロである限りは、実体を伴った人間関係は成立しない。 泣いているときに「見ている」というのも、実体がなければできないことだ。SNSで実体のない人間関係において、「見ている」という行為は意味を為さないのだ。繰り返すが、実体のある人間関係においてSNSを通じて「見ている」という行為には大いに意味がある。

SNSを通じて、インターネットだけで会話をしていても、実体を支えることはできない。これはぼくが古い世代だから感じることではないと信じている。

ぼくはこのようなSNSに対する考え方はネガティブなものであるとは思っていない。「つながっている」というポジティブな嘘にごまかされてしまいたくないだけだ。

SNSは究極的にポジティブな関係を築くことができる。考え抜かれた言葉だけで関係することができる。そしてネガティブな関係を遠ざけることができる。嫌な言葉や態度が少しでもあれば関係を削除することができる。

ぼくがSNSの素晴らしさとして見ることがある「つながり」という言葉の印象からは綺麗事しか感じられない。SNSは便利で安全かもしれない。しかし便利で安全なものは弱い。人間の実体はポジティブなこともネガティブなことも関係なくごちゃごちゃしているものだ。実体はネガティブなことを隠すことができない。実体に考え抜かれた言葉なんてない。それでも関係していくことこそ、支え合う人間の在り方である。

SNSは少なくとも、ぼくのような本当に孤独な人間にとっての救いにはならない。ぼくがインターネットに接続できなくなれば、このブログもなくなりTwitterもなくなる。そのときに残る関係はひとつもない。だからこそ、つながりの嘘に騙されてはいけない。今のぼくがいくら悲しくても、悲しさを分かってもらえることはない。そしてぼくが誰かの悲しみを知ってあげることもできないのだ。