「弱いつながり 検索ワードを探す旅」(東浩紀)を読んだ。

 東浩紀「弱いつながり」を読んだ。東浩紀が書いた本ということもあり哲学・思想的な内容であるが、実体験に基づく「旅」をする生き方を推奨する実践的な本でもある。

 Googleが予測できないような、今までの自分になかった検索ワードを探す「旅」をすることで自分の人生を充実させ、また「弱いつながり」の人間関係を築くことで、自分の目の届く範囲で人に貢献する生き方ができる。ここまで直接的には書いてなかったと思うが、そんなことを言っているようだ。

 「弱いつながり」という、ある程度無責任になれる人間関係をつくる。それは維持することに責任を負わなければならないような行動は必要ない、疲れない人間関係のことだ。

 そして、「弱いつながり」にもっとも近づけるのが「家族」だという。ぼくは、「家族」といわれてしまうと、家族を維持できなかった自分を振り返り、悲壮感が漂ってくる。

 インターネットの出現により、グループ化された「強くしばられた関係」に、多くの人が疲れてしまっている現実がある。人間の本能は、見えない誰かに対してまるで見えている関係のように振る舞うことに耐えることができない。簡単にいえば、疲れるてしまう。だから長くは続かないと、気づき始めているけれど、あと戻りできないとも感じている。

 しかし、ひと昔まえのほとんどの人が結婚をして、生活全般においても目に見える関係しかなく、いやでもなんとなく、ある意味無責任に継続していた「弱いつながり」のほうが、なんだかんだで幸せなんだと気づかされてしまう。あと戻りの許されない感があった、今以上に未婚率が上がり結婚に縛らず人が孤立していく時代は、結果的に否定されるのだろうか。

 言っていることはわかる、わかるけれど、結局行き着くところはそこなのかと憂うつな気分にもなってしまう。