契約書をじっくり読む。

 新居の契約書が郵送されてきたので読んでいる。郵送になったのは先方の都合で対面で契約する時間が取れなかったからなのだけれど、おかげで契約書をしっかり読むことができている。そういえば社会人になって唯一良かったと思うのは、こういう契約書を読もうとする力を身につけたということかもしれない。
 ぼくの場合、猫を飼育することから、入居するにも退去するにも、普通よりもお金がかかる。しかもそれが家賃の何ヶ月分という計算だから、10万単位でぐんぐんと値上がりすることになる。敷金償却分は仕方ないにしても、残りの返還される分+精算金でなんとかならないものかと確認している。
 もちろんもう入居しないという判断はないのだけれど、退去時のことは頭の片隅においておかないといけない。物を買うときに捨てることを考えておくのと一緒だ。これまで準備してきたから思い立ったらすぐ引っ越せるように、次の家でも身軽に動く準備はしておきたい。
 住宅の賃貸借については、今回初めて学んでいるところもあり、わたわたしているけれど、やってみないと分からないことが多くて、短期間で済ませてしまって良かったと思う。よくわからなくて気が気じゃない期間が長くなればなるほど、疲弊して妥協してしまうに違いないから。

価値観を押しつけるとはどういうことか。

 「価値観を押しつけるな」という愚痴のような叫びのようなものを見ることがある。そう言葉にするということは、そう思って生きているのだと思う。
 ぼくにはその、価値観を押しつけられるという意識が理解できなくて、うまく消化できないでいる。消化しなくても放っておけばいいのだけど、ぼくは、価値観を押しつける人や価値観を押しつけられるという人のことを知りたい。
 煙に巻くようなことをいってしまえば、そういう人は、「価値観を押しつけられている」という価値観を持った人なのではないだろうか。もしくは、環境の問題や外的要因のことを「価値観の違い」と勘違いしてるのではないかと、ぼくは考えている。
 例えば、家庭のなかでの父や母の言葉というのは、ぼくが子どもの頃は、親が勝手に言っていることでしかなかった。父母の人生や家庭の状況は子どものぼくにとっては、生活の前提条件である。お前は私立の高校なんかに行けるお金はないよと言われていたから、その前提条件でやっていて他のことはよく知らなかったし、もしお前は私立の名門に行きなさいと言われれば、きっとその前提条件でやっていたに違いない。もちろん違う人生のことは、今までの自分の生き方の態度をみて、そうなっただろうとしか言えないのだけれど。
 価値観なんて、本当は誰も口に出して言っていない。他人の価値観だと思って見ているものは、その人が他人に見せたい自分の態度のことだ。受け取る側がそれを価値があるものだと感じるから、相手のその言葉に対して価値観を押しつけているなんて思う。支配的な親、支配的な恋人、支配的な配偶者、こういう人はきっと、自分の立場を相手にとって価値のあるものだと信じ込ませる能力を持っている。そして信じ込まされている人、子どもなどはその典型だろう、支配されている人から見れば、支配している相手は自分の価値観を他人に振りかざしているように見える。
 想像するけれど、よくわからない。ぼくがいま話していることも、人によっては価値観ということになるのではないかと思ってしまうし、そもそも価値観という言葉の心理的な定義すら他人とは分かり合えないということが正しいことなのかもしれない。

月額200円(minikura)の価値を考えている。

 月額200円の価値というものを考えている。月額200円というのは、minikuraに1箱分の物を預ける月額料金である。この毎月200円で空間を買うということの価値が、いま自分の中で明確になってきているのではないかと思っている。
 月額で料金がかかるもの、光熱費を筆頭にインターネット回線や携帯電話、その他いくつかのサービスを使っている。例えば、今はフレッツにひかり電話をつけて03から始まる固定電話の番号を持っているのだけれど、今回それをやめることにした。次の家でもフレッツ(今度はマンショタイプが使えた)を新規で申し込んでいるのだけど、今は固定電話がなくても問題なく契約を進めることができる。最寄りのコンビニなどの固定電話を入力するとフレッツ回線のエリアがわかるらしい。つまり固定電話はすでに連絡先としては機能しておらず、フレッツ回線が届いているからの確認でしかないのだ。パスポートも今は携帯電話の番号で良くなっているというし、固定電話の重要度が下がる=いつでも止められるし番号を変えられるということになるので、固定電話を持つことによる信用も低くなっているということだろう。むしろ携帯電話の契約のほうが審査を通っているので信用が高いといえる。
 話しはそれたが、ひかり電話の基本料金は月額500円である。この500円、正直維持するには安いと思う。しかしminikuraの2箱分と考えると一気に価値が高まってきて、毎月500円を無駄に使うのはやめようと考えていた。
 月額200円の価値がものすごく上がっている。生活においては色々な契約をして、月々の支払いをしている。それによって受けている恩恵はそれなりにあるのだろう。しかしそれが自分に本当に必要かどうかを考え、毎月数百円だから維持するのも楽だと思っていたサービスの価値を見直す良い機会になっている。

引っ越しのタスクを整理した。

 今日は仕事中、ふと、引っ越しで発生したタスクを挙げてみた。仕事的にいえば引っ越しプロジェクトという感じ。仕事中であることと、仕事中に引っ越しのタスクを挙げているという緊張感から頭の回転がすばらしく良くなっていたのか、あっというまに30くらいのタスクに整理することができた。
 始まりは8月30日の「内見をする」「不動産屋に入居申込書を提出する」から、終わりは9月15日の「(新居ですぐに買う)冷蔵庫・洗濯機の設置立ち会い」まで、全て日付入りで整理した。気づいたらたった半月程度だった。
 タスクを挙げるときに注意するのは5W1H。引っ越しのタスクは、自分から業者、業者間、業者から自分といった方向と、いつまでに何を決めるべき、何が決まったら何が決まる、何をどう決めると、何がどう変わる、といったWhen、Where、What、Who、Howが大切で、Whyは自己満足的にあるくらいか。今はかなり微細な感じになっているので客観的なものができれば紹介したいが、一昨日引っ越しの本を立ち読みしていて、ぼくはあまりに素早く進めすぎているのか、反省点は多々ありそう。
 ぼくは仕事中に仕事以外のことをするのが好きで、それなら積極的にたくさん仕事をすれば良いのだけれど、目に見える成果を出しつつ、いいひとっぽく仕事を受ける以上のことはしない。Googleの20%ルールのような、これももう古いかも知れないけれど、ぼくは自分なりに20%くらいは仕事の頭で他のことを考えていたい。

物を箱に詰める。

 (もはやただの引っ越し日記である)

 来週の日曜日に引っ越しをするため、今日箱詰めをほぼ終わらせた。箱の数は、サイズ120の箱が10個程度になる予定である。120の箱を10個買ってそれに収めることにしたというのもある。引っ越し業者の人は、120の小さい箱で10個は少ないでしょう、って言っていたけれど、自分としては多くて10箱にしたいと思っていたから、大丈夫だと思いますよ、と電話越しだけどニタニタしていた。
 引っ越した先では、必要になった物から出していくことにする。映画「365日のシンプルライフ」のように、1日1個に制限したり1年間買わないということはできないと思うけれど、箱から出した物をメモしていくなどして、一体自分がどういう物を使って生きているのかを数えてみるのは楽しいかもしれない。この映画では、人生に必要な物は100個、次の100個は楽しみのための物だと言っている。イメージとしては確かにそのくらいかもしれないと思うから、必要な物と、楽しみのための物を分けて、日々整理してみたいなと思っている。