大量の粗大ごみ。自分に必要なものは何か。

 引っ越し業者と契約して、日程が決まり、金額もほぼ決まった。その際、廃棄物も見積に入れていたのだが、この廃棄物の見積が13万円近くになってしまったのだ。そこで引っ越し業者の人が提案してくれたのが、冷蔵庫とエアコン、洗濯機といった家電リサイクル対象の物以外で、自分で持てる物は区の粗大ゴミに出した方が断然安くなるとのこと。元々自分の力はなるべく使わないようにと思っていたのだけれど、引っ越し業者の人の丁寧な説明から、粗大ゴミを試してみることした。
 その引っ越し業者の人は、ぼくが猫を飼っているという話しに対応してくれたからその業者にしたことを先日書いたのだけれど、さらに今日、その人も猫を飼っていることを聞いて、さっきの粗大ゴミの件も話に乗ってみようと思ったのだった。実際に現場で作業をする人は違うというのは分かっているけど、やはり人というものが大事だと改めて思った。
 粗大ゴミのことを聞くのに大田区の粗大ゴミセンターに連絡して、色々と教えてもらった。粗大ゴミセンターや地域の清掃事務所と3回ほどやりとりして、何とか予約まで辿りつくことができた。
 普通のゴミと同じで曜日は決まっていて、指定時間までに出さなければならない。ただし品物は申請したものしか持って行ってくれない。弟に手伝ってもらおうと思ったのだけれど、なかなか時間が合わないようで、1人で持てるものだけに絞って、どうしても無理な物は引っ越し業者に頼むことにした。
 そして最後、粗大ゴミの連絡をして品物を伝えていくと、なんと50点近くになった。なので2日に分けて出すことにしたのだけれど、それでも苦労しそうだ。50点のなかでも、衣装ケースが15個、カラーボックスが8個と、大物が結構ある。そのにもカーペットやファンヒーター2個、机、空気清浄機、椅子3個、パーティション、などなど、どうしてこうなってしまったのだと愕然とした。粗大ゴミの総額は、1万6千円程度である。家電リサイクル対象を除いても9万円近く金額が変わったので、ここはひとつ大変でも自分で粗大ゴミを出すのを頑張ってみようと思うことができた。
 物がそこにあるのだから、いつか買ったのだ。この数年はこういう類のものを買っていないと思うのだけれど買ってしまっていたのだ。買ったということは必要だったのだろう。買った理由なんて思い出せるわけがない。当たり前だが必要だから買ったのだろうし。

 こうやってここ最近片付けばかりしているので、物を見るのが嫌になってきている。目の前に同じようなボールペンが2つあるだけで、ちょっとイライラするくらいに、どうしてその物がそこに存在するのかという、謎の問いかけすら始めてしまう始末だ。それでも持っていない箒を買いにいってみたり、物を増やしているのだ。物を買うことはいくら考えても堂々巡りで結論はでない。だから結論などないのだろう。今は何かを買うときに、使ったら捨てるということを考えて買うようにすることで、物を選んでいる。捨てるのが大変な大きい物はなるべく買わないということから、買わないとしたらどうするのかとも考えるようになった。 

 ぼくに必要なものは何か、存在するべき物は何か、考えていたらきりがないのだけれど、今はそれをじっくり考えるときなのだとして、しっかり考えてみたいと思う。

物をminikuraに預ける。

 すでに去年から使っているのだけれど、今年引っ越しにあたってminikuraの箱を追加した。
  

 minikuraは、箱単位で収納スペースをレンタルしてくれるサービスで、1箱の大きさは120サイズ(縦、横、高さの総和が120)となっている。代金は一番安いHAKOプランで月額200円で、月額250円のMONOは物単位で取り出せるのだが、ぼくは箱単位で問題ないのでHAKOを使っている。ちなみにMONOにはヤフオクに出品できるオプションなど、HAKOよりもきめ細かいサービスがついている。また取り出す際、預けて1年以内は取り出しに送料800円かかるが、1年以上預けていれば無料となる。ぼくは去年の8月に5箱預けているから、その5箱はいつ取り出しても無料である。
 その5箱で月額は1,000円かかっている。そして今年は6箱追加するので、月額は2,200円となる。家賃が2,200円アップするイメージをすると良いのだろうか。月2,200円で箱11箱分のスペースを空けることを高いと思うか安いと思うかは、目の前に物がないことによる精神的な落ち着きのようなものに価値を見出すかどうかかもしれない。
 正直、1年も過ぎた物は捨ててしまっても良い気がしている。ほとんどがCDなのだが、やっぱりCDは好きなのだ。思い出すと捨てたくなくなる。でもその好きなCDを目の前に置いていないのだ。1年経てば何か変わると思ったけれどまだ変わっていない。財政が逼迫しない今は、しばらくこのままかなと思っている。今年はCDだけでなく、どうしても捨てられない思い出の品物なども預ける。また来年あたりに、それらをどうするか考えるのだろうか。
 今日は箱に入れていたのだけれど、箱がいっぱいになってくると、やっぱり捨てていいやと思う物が出てきたりする。そんなもの最初から要らなかったのではと思ってしまうけれど、それも片付けの醍醐味だろうか。その片付けも、あと少しである。

引っ越しが決まった。

 ようやく引っ越しが決まった。今まで決まってなかったのかい、という感じではあるけれど、入居審査が終わったということ。あとは契約して引っ越し作業を行うのみ。
 これからの大きな作業は、荷物のまとめと引っ越し、不用品の処分、そして今の家の掃除である。できるだけ安価に確実に行いたいものである。
 引っ越しは業者を決めている。決め手は猫に対する印象だけである。一応ランキング的なサイトで上位にあったいくつかの業者に連絡をしたけれど、レスが早くて猫の質問に丁寧に答えてくれた業者に頼むことにしている。
 と、ただの日記のような内容になってしまったが、しばらくこんな感じかもしれない。

狭い家から少し広い家、そしてまた狭い家へ。

 体調は元に戻っているのだけれど、仕事以外はずっと引っ越しについて考えていて他のことを考えることがないから、ブログの内容に困り始めてくる。まだ引っ越し先が決まっていないというのもあるだろうか。その場合は来月から実家で暮らすしかない。実家は今自分が住んでいる家より狭い。父が土地を所有しているといっても、買ったのは25年前くらいで、今思えば時代が良くなかったのだろう。あの実家に家族4人が暮らしていたということが信じられない。子供部屋も4畳半、弟と2人で使っていた。戻ったらまた弟と一緒と思うと、それはちょっと避けたい。
 心理的に、一度広い家に住むと狭い家には戻るのに抵抗があると言われている。新しく探している家はもちろん今よりも狭い。今が40平米くらいで、探している家は20平米程度である。それでも相場的に家賃は今より高くなる。
 猫と2人暮らしで40平米も必要ない。といっても、先日20平米の家へ内見に行ったとき、正直狭いと思ってしまった。今があるだけに印象としては狭いけれど、使うスペースとしては十分すぎる。今の家だって物を捨ててしまった今、使っているのは20平米に満たないだろう。テーブルと棚と、大の字になれるスペースがあれば十分だ。なんだかんだ不満はあっても、狭い家と近い職場でトレードオフという感じもある。
 なんだからとりとめのない話になってしまったが、早く新しい家が決まってくれないかと思う。

体調の変化を捉える。

 体調が悪いため、引っ越しに関する作業はほどほどに、早く寝ることにした。体調のバロメータはいくつかあって、たとえば寝不足が続くと瞼が痙攣してくる。これは自律神経が乱れているというシグナルだと言われている。
 そんな瞼の痙攣は昨日で収まり、今朝から発生したのが痔の激痛である。日常生活において痔瘻を患うというのは非常に残念なことであり、痔に特化したブログを書いている人はいても、日常のブログの中で痔を公にする人はあまりいないなあと思った。実は痔瘻は男性よりも女性のほうが多いと言われていて、女子会ではメジャーな話題だったりするのだろうか。セックスの話題も男性より女性の方があけすけだと聞くし、話し好きな女性は話題の幅も広いのかなと思ったりしている。
 話しは逸れたが、ぼくは以前、IBS(過敏性腸症候群)の傾向があって、夏でも腹巻きをしたいくらいだと書いたことがあるが、また同時に痔瘻なのだった。何年か前に流血が止まらなくなって発覚したのだけれど、それ以来、患部を大切に扱うようになった。それ以来、血は出ても止まらなくなるまでの流血にはならないで済んでいた。今朝から痛いと言っているのも、流血ではなく、とにかく腫れて痛い。特に今回は正直あまり原因が分からないのだけれど、おそらく体調が悪いのだろうと思っていた。
 すると夜になるにつれて、喉は痛くなるし頭痛もしてくる。もちろん痔も痛い。身体全体がキリキリ痛んできて、家に帰ってすぐに薬と栄養ドリンクを飲み、寝る前にこのブログを書いている。
 体の不調というのは、ガクンとダメになる前に、どこかに影響が出始める。瞼だったり痔だったり、歯だったり、膝だったり。影響が出やすい部位は人によってちがうだろう。体に気をつかうというのは、そういうちょっとした体の変化を捉えて、適切な対策を打っていくことなのだと思う。
 今回の不調は、この前の土曜日からひたすら物を捨てていて、普段使わない力や心を使っているからだろうか。引っ越しはこれからだ。体調が悪くて良い選択や行動ができるわけがない。早く回復させたい。