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コミュニケーション能力とは何か。 / 「街場の共同体論」(内田樹)

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 内田樹の「街場の共同体論」を読んでいたのだけれど、「コミュニケーション能力」について、とても腑に落ちる話があった。
 ぼくにとって内田樹は、いろいろなことを腑に落ちるように教えてくれる。しかし安心して腑に落ちていってしまうので、継続して読まないようにしている。一時期は過去の本を漁っていた時期があったのだけれど、思考回路が侵食されそうになっていた。現代思想への興味のきっかけではあるけれど、現代思想の1つでしかない。
 本題の「コミュニケーション能力」の話しをすると、ぼくは少なくとも職場では、コミュニケーション能力が高いと思われている。しかし自分ではそう思っていないところがあり、なぜならその高いと言われているコミュニケーション能力を活かす場が職場以外になかったからである。ちょうど昨日書いたことであるが、ぼくの会社での行動は、シナリオを描いてその通りに行動して、適宜修正をしていくということの繰り返しである。だからこれはコミュニケーション能力なんかではなくて、考えて行動しているだけだと思っていた。
 しかし内田樹の話しでは、まさにこの「適宜修正」がコミュニケーション能力のことだと言っているのだ。自分でシナリオを描くということよりも、上手くいかない場合に修正できるかどうかがコミュニケーションの鍵であった。
 
 シナリオが最初から与えられているのがマニュアルによるオペレーションであるが、マニュアルどおりのオペレーションをやっていると、例外が起こった場合、何もしないことが求められる(らしい)。例えばスーパーの店員によるオペレーションの場面として、「保冷剤入れますか?」と聞く場合、すぐに理解してくれる客と、「ホレイザイ?」と理解してくれない反応をする客がいる。こういった場合に客とのコミュニケーションを成立させるには、保冷剤について知っている方が積極的に補足をし、「持ち帰りの際に溶けないように、この保冷剤を入れますか?」と説明し直す必要がある。しかしコミュニケーション能力が低い店員は、「保冷剤入れますか?」と繰り返すのみとなり、保冷剤を知らない人には伝わらないままとなってしまう。さらに驚いたのが、さすがに保冷剤の例ではないと思うが、マニュアルに書かれたオペレーション以外のことをしてクレームでもあった場合に、マニュアル以外のことをやったからクレームになったという評価になることさえある。
 こういったことがあるように、就職活動や職場で単に「コミュニケーション能力が高い人」を求めている場合でも、実際に求められているコミュニケーションとは何かを理解しなければならない。もっといえば、求められるコミュニケーションと自分の考えるコミュニケーションに齟齬があるのであれば、それに気づき修正することがコミュニケーション能力だといえる。

 最後に、ここまでの話しからは少し飛躍してしまうが、ぼくが内田樹が解説するコミュニケーション能力について腑に落ちたこと、それは、コミュニケーション能力とは人と気持ちよく会話する能力ではなく、コミュニケーションが成立しなくなったときに対処しようとできる能力であるということである。