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目の前で起きていることは歴史となるだろうか。

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 いつの日かインターネットが現れて、このインターネットの大量の情報や集合知に魅力を感じている人、インターネットが今あることを知らない人、インターネットがない時代を知らない人、たぶんこれからも同時代に生きる人達の間ではこのくらいの格差を生みながら変化を続けていくのだろうと予想している。物心ついた時点が今だとして、今目の前にあるものは、10年後、20年後に物心がつく人たちにしてみると、前時代のもののようになっているだろう。こういうことを考えると、ぼくはもっと遅く生まれたかったと思うし、でもどの時代に生まれても同じなのかもしれないとも思う。
 
 ぼくは今日、意識的に情報の海を漂っていた。数々のWebサービス、アプリを通じて、インターネット上の今を漂流していた。しかしぼくが学生の頃に味わっていたような、ネットサーフィンでいつのまにか時間が経っていたという感覚がとは少し違う。一つのことを起点にずんずん先へ行ってしまうというよりは、てんでバラバラの情報を際限なく見続けているような感じだった。ネットサーフィンをしていた頃は余裕があったから、時間を使ってしまったことに満足している部分もあったが、今のようにバラバラの情報を見続けることには、まったく満足感がない。
 
 ぽつんぽつんと落ちてくる情報たち、目の前に落ちてきた情報を見続けることで、ぼくは変化するのだろうか。とはいっても、インターネットに転がっている情報で何かを得ようとするなとか、インターネットの情報なんて娯楽以外のなにものでもないと言われると、今ぼくが書いていることは何なんだろうということになるので、そこまでは思いたくない。
 
 インターネットは情報を集める方向で進化してきたけれど、昨今のように集まる情報が増えすぎることで多くの人が困り始めると、今度は情報を選別する機能、サービスが出現してきた。情報を選別するウェブサービススマホのアプリはたくさんある。そんなぼくも思い出せるだけで10個くらいのサービスに登録していた。(グノシー、NewsPicks、SmartNews、Kamelio、Presso、The News Classic、Antena、ReShare、Vingow、はてぶ、など)さすがにこれら全てを見ることはないけれど、そもそもこれらを全部見ていたら、情報の選別になっていないだろう。
 
 このようなサービスを使うかどうかは別として、もはやどんな手を使っても、インターネットに出ているほんの一部の情報しか知ることができない。そしてぼくにとって必要な情報というものが分かるということを前提にしても、必要な情報だけを選別してぼくに提供することなど、今の技術ではできないだろう。
 
 毎日出現して変化を続ける情報をどのように捉えればいいのか。いってしまえば使い捨てともいえる情報のなかに、今の自分に、さらには明日の自分に必要な情報はあるのだろうか。ぼくが必要とする使い捨てにならない情報を選別することが不可能なのであれば、最初から情報にアクセスしなければいいのではないかとさえ考えてしまう。
 
 今は常に変わり続けるけれど、過去は変わらない。ついさっきのことですら、変えることはできない。変えることができない過去のことなど、個人個人が思い馳せる過去があろうと、人類の歴史としてはほぼ全てが忘れ去られていく。しかしそんな過去のなかに、現在への資産、贈り物として選別されてきた歴史というものもあるのだ。
 
 はたしてぼくの目の前で変化し続けていることは、歴史、未来への資産、贈り物になるだろうか。今見えることのなかに歴史になるようなものを捉える力があれば、目の前のことをもっと真剣に捉えようとするのだろうか。ぼくはこれから歴史を学ぶことで、現在に起こっていることを歴史に通じる物事として捉える力を身につけたいと思った。