「ヘヤカツ」に至るまで。

NHKの朝の番組で「ヘヤカツ」の話しが出てくるというのでnasneで予約をしたはずなのだけれど、なんと録画されていなかった。今日は番組を見てから書こうと思ったのだけれど、しかたないので、ぼくが「ヘヤカツ」に至るまでのことを書くことにする。
 
ぼくは2010年くらいから2013年にかけて、自分が思うままに8年間くらい溜まった家の物を捨てていった。そしてただ捨てるということに行き詰まってくると、本などの外部の知恵を求めるようになった。
 
ある程度の物を捨てきって、ベッドなどの大物も処分したころで、ぼくはゆるりまいの「わたしのウチには、なんにもない」を読んだ。なぜこの本だったかを思い出すと、やっていることがぶっ飛んでるからだ。「断捨離」とか「片付けの魔法」、「捨てる技術」は、読んだことがないので正しいかはわからないが、「整理する」という目的が見え隠れしていて、ぼくにはそういう整理するような気持ちはまったくなく、これらの本は必要としていなかった。
 
それに対して「わたしのウチには、なんにもない」は、ぱっとみ目的がよく分からない。家をがらーんとさせるという、ある意味異常な拘りによるもので、本人が言っているとおり、ただの捨て変態の人なのだ。ぼくは、このメッセージの無さに惹かれた。いや、メッセージはあるのかもしれない。しかし「なんにもない」を作者自身が他人に理解されるとは思っていない。そういう意味で、ぼくは片付けや掃除の本ではなく、「こういう人はなにを考えているのだろう」という風に惹かれて、読んでいたのだ。
 
実際、最新の「なんにもない部屋の暮らし方」を読むと分かるのが、ゆるりまいの家にも必要な物はある。大人4人が一つ屋根の下で暮らしていて、不便なところもあるけれど必要な物は揃っている。つまり物が「見えない」だけなのだ。「わたしのウチには、なんにもない」に書かれているけれど、ゆるりまいの目的は「生活感のなさ」なのだ。だから、「生活感のなさ」を達成できていれば良い。広い家に大きな収納がたくさんあって、あらゆる物を見えなくしているだけとも受け取れる。もちろん、思い出の品も捨ててしまうとか、偏ったところはあるけれど、それならぼくも同じようなものなので、案外普通なのではないかと思うところがある。
 
そして2013年の後半くらい、ぼくにしてみるとベストだとも思えるタイミングで現れたのが、部屋を考える会の「部屋を活かせば人生が変わる」であった。これは2013年の中頃にハックルさんこと岩崎夏海さんがブロマガで「掃除」が流行ると予言していたという話しをし始めて、その後の企画の経過をニコ生などで見ていた。
 
ぼくとしてはすでに「ヘヤカツ」の序章的なことは自分で始めていて、しかしさきほど書いたように、特に目的なくやっていた。そういったところに、「ヘヤカツ」というキーワードと、さらには「人生が変わる」というメッセージまでを目の当たりにして、ぼくはこの機会に「ヘヤカツ」に乗っかってみようと思ったのだ。