「ヘヤカツ」に行き詰まっている。

昨日、家に溜まった物を捨てることから「ヘヤカツ」に至るまでのことを書いた。今日はその「ヘヤカツ」の現状を書こうと思う。
 
「ヘヤカツ」の目的とは、「良い部屋」を作ることである。この点において、ぼくは「良い部屋」に向けて満足できる部屋に近づいていると感じているが、満足とは裏腹に少し悩んでいる。その悩みとは、「ヘヤカツ」前と変わらず、自分の部屋にいることできないのだ。ぼくのように家に居る時間が少なかったりする場合、あまり家にこだわりがなかったり、寝るための家のことなど考えたりしないのだろう。しかしぼくは「部屋を活かせば人生が変わる」という本に出会い、部屋を改善することに目的が出来た。人生を変えられるのなら変えたいと思うし、そのためにできることがあるならやってみたいと思う。「ヘヤカツ」は、その一つの取り組みなのだ。
 
今までも自分なりに家を改善してきたぼくは「部屋を活かせば人生が変わる」を読み、まず形から入ろうと考えた。実践しようとすることで、できることとできないことが分かる。実際にやってみようと思うと、ほとんどのことが書いてあるとおりか代替策で実現できる。代替策というのは、目的を達成するなら手段は問わないという意味で、自分の部屋に合わせてできることをやるということだ。
 
ぼくはまず、ヘヤカツで一番重要な「掃除の道を通す」ということを優先した。掃除の邪魔をしているものはひとまず押入に入れるか捨ててしまうことで、生活の流れを確保した。それまでも色々捨ててきたけれど、目的を変えればまた捨てる閾が下がることがわかった。それからクイックルワイパーを家の全体の真ん中に置いて、いつでも手にとって部屋中くまなく掃除することができるようになっている。そして掃除の道が通っているから、掃除の時間も10分かからない。
 
部屋に置く家具については、必要な家具は「テーブル」と「ベッド(布団)」と「本棚」という考え方に従い、収納用品は捨てて、中身も捨てるか押入にしまった。押入にしまったものは、その後出したら本棚の一角に置き、半年たっても一度も出さなかったものは中身を確認せずに捨てることにする。(2012年まではこれを1年単位で大量のダンボール箱でやっていた)
 
また、「ヘヤカツ」に従ってやろうとしても実現できないのは、そもそも考える余地がないことだ。例としては、食器はほとんど使わない生活をしているため、豊かな生活をすることを目指せば、家の食器で食事をしたりすることも考えたほうが良いのだろうけれど、ぼくは一人では食事らしい食事ができないため、実践する方がつらい。バスルームの中については最初から何もなかった。石鹸やシャンプーなどはできるだけ高くて良いものを使うことで、毎日満足できて幸せになれると書いてあるけれど、ぼくは石鹸もシャンプーも使わないので、ここにきて敢えて使うという判断はできなかった。 
 
このように「ヘヤカツ」は着々と進んでいる。しかし相変わらず悶々としていて、それは最初に書いたとおり、部屋をいくら改善しても自分がその部屋にいないのである。
 
ぼくの生活パターンを簡単に書くと、朝起きて、すぐに家を出て、夜中に家に帰り、また寝て起きて外に出て、帰ってくるというサイクルである。その隙間に、外にいたときに思いついた改善や、気になったときに掃除をしている。
 
こう考えると「ヘヤカツ」の意味とはなんだろう。人生が変わるかもしれない家は、今も変わらず、ただ安心して眠るための場所でしかない。それ以上の場所にしたいと思うけれど、今は何をどうしたらいいのか分からない。このブログを家で書くようにすれば良いのだろうか。そんな単純なものではないだろう。ぼくは会社に居るとき以外は、どこかのカフェやファーストフードで本を読むかブログを書いている。本は外でしか読まないために電子化しているし、ブログも外でしか書けないからいつでもiPhoneiPadを持ち歩いている。だとしたらiPhoneiPadを捨てれば否が応でも家に帰るだろうか。ぼくはどうしても家で本を読んだり何かを書いている自分が思い描けない。
 
こういうことは、急いで結果を求めるようなものでもない。こうやって考えて表現している今のことを、いつか「あのときに人生が変わっていた」と言えるときがくるかもしれない。だから、できることをできるようにやっていくしかないのだろう。