無所属の時間を持つ。

 無所属の時間を持つ。これは城山三郎の言葉であるが、晩年会社勤めなどが終わり所属する場所がなくなったあとのことを考えれば、無所属の時間にこそ、人間として成長できる時間にしていかなければならないと言っている。
 晩年でもないぼくにとって、文字通りの無所属の時間ということは難しい。しかし1日のなかの、ほんのひと時だけでも、無所属の気持ちでいられる時間を持ちたいと思う。
 毎朝会社に出社したり、また一人でいるときでも急に電話がかかってきたりして、仕事に戻ろうとすると、今までの続きから始めなければならない。連続していることを、自分の意思でなかったことにはできない。
 無所属の時間とは、なかには連続していることもあるだろうけど、連続していることを強制されない、つまり自由な時間である。今までのことを一旦捨てることも許される。自分の立場、仕事、役割などを棚において、自由に物事を考えてみる。最近書いていることは、案外そういうことかもしれない。
 今まで自分でも意識できていなかったけれど、ぼくはここでいう無所属の時間を求めていて、そういう時間がないと少し精神的に弱ってくるくらいに、貪欲に生きているのではないかと思ったりした。