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文章の読み方

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 (自分以外の)他人が(自分を含む)他人に向けて書いた文章について、どのように読んでいるかを考えてみる。
 たとえば、Aさんが何かに対して「間違っている」と考え、文章にして説明しているとする。そしてそれを読む人は、その「Aさんの考え」が正しいと思ったり、はたまた間違っていると思ったりするかもしれないが、ぼくは、この「Aさんの考え」について考えるという読み方が、読み手の態度として良くないと考えている。Aさんの文章を読んでいるぼくにできることは、Aさんが対峙した何かそのものに対して、自分だったらどうであるかと考えることなのだ。言い方を変えれば、読み手であるぼくは、意見を述べているAさんと同じ立場に立つこと(立とうとすること)はできるけれど、Aさんの意見をどうこう批判できる立場にはいないということだ。
 さらに視点を変えてみると、Aさんが何かと対峙して「間違っている」と考えたということは、世の中のどこかには、Aさんと同じものと対峙して「正しい」と考えているBさんがいるはずである。
 だから、ぼくの書いたこのブログの考え方と真逆のことを考えている人もいるだろう。「文章は批判的に読め。自分の頭で考えて、君だけの考えを持て!」なんて。
 ぼくは、他人が書いた文章の裏を読んでみたり穿って読むようなことをするのは、どこかもったいないと思っている。それを誰が書いたということに関わらず、その書かれた文章そのもの対して、誠実ではないと思っている。