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途方もないことに、どう対峙するか。/ 映画「100,000年後の安全」

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東京は雪が降っていた。こういう日に家に居られるということは運が良かった。1時間に1回くらい窓を開けて、降り積もる様子を見届けていた。

明日は用事があるので外にでなければならないが、雪道を歩く靴など持っていないので、少し憂鬱だ。年に数日しか降らない雪のために雪道用の靴など持たないし、今年はまさかここまでしっかり降り積もるなんて思ってもいかなった。

そんな今日は、動画をいくつか見て過ごしていた。その1つが「100,000年後の安全」である。フィンランドの放射性廃棄物処理施設(オンカロ)における関係者の話しが淡々と語られる。事実として、放射性廃棄物は、10万年という途方もない先でしか終わらない問題として存在している。10万年後といえば、人間が今のような人間として存在しているかも分からない。まして地球が今の形で存在しているかも分からない。でも実際、そのようなものが目の前にある。それらを今の時点でどう解決させるかを真剣に考えた結果の1つの答えが、「100,000年後の安全」で描かれるオンカロなのだ。

放射性廃棄物のことなど、自分が生きている間には解決し得ない話しだ。たとえ自分に子供が居ても、その子供が居ても、そのまた子供が居ても同じだ。なんていう風に先送りすることは簡単だ。翻って、この問題に足を踏み入れようとしても、普通の人が中途半端な知識で言葉にしたり行動に移したりできるような代物でもないと言えなくもない。たとえば、今都知事に立候補している人の一部のように、声高らかに原子力の反対を掲げたところで彼らに何ができるだろうと、無力さを感じてしまう。

フィンランドの例のように、自分たちが生きている範囲、もしくは理解できる年月の範囲で考えることと同時に、今ある放射性廃棄物が無害化する10万年後に対してできることを並行して進めなければ、なにも進まない。もしかしたら、100年後には何か大差宇が見つかるかもしれないし、それが9万年後かもしれない。わからないけれど、わからないものに向かっていくことが必要だと、「100,000年後の安全」から分かる。

しかしぼくは実際に何もできない。むしろ、放射性廃棄物に対して何もできないのだから、そんなことより他のことを考えた方がいいんだと正当化しているのと同じだ。ただ、今のぼくたちの生活がどうとか、そういう問題として捉えてはいけない。そして思想だけ唱えている人に、今で言えば選挙で投票するなどを通じて手を貸すこともしたくない。そもそも東京都の知事選で語っていること自体がおかしい。

話しが変わってしまっているのでこの辺にして、放射性廃棄物のような、自分にとって途方もないことに対して自分が取るべき態度については、これからも考えていきたい。