手元に置きたい本に出会っていない。

今日は選挙に行ったりしたので、選挙の話しをしようと思ったのだが、20時に池上彰の番組を見始めた瞬間に舛添要一が当選確実という知らせを見て落胆したため、しばらくぼーっとしていた。なので選挙の話しはやめておく。明日書くかもしれないし、書かないかもしれない。

もう何回か書いてきたけれど、ぼくは本を捨てることもできず、苦肉の策として電子化している。電子化は時間を持て余したときなどを使って淡々とやっているのだけれど、そのときそのときで手元に残しておきたいと思う本を選別しながらやってきた。しかしそれも選別する度に、少しずつ電子化する閾を下げていくことになり、今は小説関連を除いて、少し大きめの箱が2箱くらいになってきている。ちなみにすでに電子化されている本や雑誌の冊数は、フォルダをざっと数えてみるだけで約2000冊だった。なので今は手元に残しておきたいというより、電子化しにくい本が残ってきている。次は小説が電子化への閾を超えるかどうか。今月からは、一度読んだラノベを電子化してしまおうと思っている。

このように、徐々に手元から本がなくなっていくわけだけれど、本を物体として残しておきたいということは、いったいどういう本なのかということを考えている。たとえば人に貸したい本だろうか。しかしぼくは人に貸すくらいなら、プレゼントしたい。だからぼく自身はその本を物体として持っている必要はない。もしくは部屋を考える会のヘヤカツのコンセプトにある、人に見せたい本棚を作るための本だろうか。しかしぼくの部屋に来る人はいない。

それであれば物物として持っておきたい本とは、いつでも手に取りたい本、目の前にあると自分自身が良くなるような本だろうか。本があるから家に居たいと思える本。そのような本にはまだ出会えていない。本を読むことが好きな人間としては、手元に残しておきたい本を探すために本を読むようなことはないにしても、できるだけ良い本を読もうとする努力はしたいし、手元に残したいくらい好きになる本を探してみるというのも、また新しい読み方なのではないかと思った。