謙虚さと傲慢さ

 ぼくだけではないと思うが、人は謙虚さと傲慢さを持ち合わせている。謙虚さを見せる場所と傲慢さを見せる場所を間違えないようにすることが、人間関係において大事なのではないかと考えている。
 たとえばブログを書く上では、傲慢さを出してもいい。むしろそのくらいでなければ味がでない。それとは違い、仕事や学びの場(読書などを含む)では、謙虚さを出さなければならない。仕事や学びの場においては自分など関係ないのだ。仕事は自分が使われている場面であり、学びの場は自分を変える場面であって、それに抵抗するような傲慢さは変化の邪魔であり、かつその場にいる人たちにとって迷惑なものとなる。
 ぼくはこの考え方に縛られているのか、自分の意見を話すと傲慢さが出てしまうことが、なんとなくわかる。だから謙虚にいたい場所では話すことができない。仕事の場において、自分の意見が求められ自分の意見に対する意見がある場所では、話すことができる。しかし学びの場では、話しを聞き自分に取り入れる以外のことをしたくない。
 これは人の考えに対して自分の考えを述べることが苦手であり、さらにいえば意見が対立したり相手の怒りを買うのを恐れているということでもある。自分としては、調和を図っていると思いたいのだけれど、何か物足りないとも思ってしまう。あるテーマに対して議論をして互いの認識を摺り合わせ、発展させていくことを対話というが、そういう場があると、自分の意見を話すことができるだろうか。