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音楽が好きなことを語るには。

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ぼくはJ-POP、ロックなどの音楽を聴くことが好きで、ほぼ毎日なにかしら聴いているのだけれど、それと同時に音楽が好きなことをどう言語化しようかと、音楽を聴くようになって以来ずっと考えている。学生のときとかでも、自分からどういう音楽を聴いているとか、積極的に話したことがない。音楽が好きだと言っている人で、同じような音楽が好きだったときに、ぼくも好きだということを話して盛り上がるということは、遠い過去に少しだけあった。でもその好きだという人と同じような熱さをぼくは持っていなかったと思う。音楽が好きでよく聴くのだけれど、その好きさ加減というか、熱みたいなものを表明する手段を持ち合わせていない。

現在まで少しずつ、少なくとも書籍よりは早く、レコードやCDという物質を媒介に音楽を再生する方法から、データを端末に記録してそれを再生する方法に変わっていっている。そしてCDはコレクターアイテム化していくだろう。もうそういう意識の人がある程度の割合でいると思う。

ぼくが好きな音楽の全てがもし物質(CDなど)として存在すれば、それを写真に撮りまくって見せつけたり、あるいは家に人が来るようなことがあれば、ぼくが好きだと言いたいものたちは一目瞭然ということになる。ぼくのことを言えば、家に誰かが来るということは今までなかったし、これからもなさそうなのだが、部屋にある物を見ればその人の人となりが分かったりするものだという。持ち物を介して、人は共有できることがあるらしい。このとおりぼくの家には誰も来ないということもあるけれど、ぼくが目指している部屋は、自分の趣味にとらわれない部屋、居心地のいい部屋である。本が好きで音楽が好きでゲームが好きなぼくは、目の前に本や音楽やゲームがあると、ぼくが持つ人生の時間ではそれら全てをうまくやりくりできないということによる無意識の圧迫感に覆われる。それが居心地を悪くさせ、結果的に何もしないという虚無に逃げ込んでしまう。ぼくはそれをどうにかして終わりにしたい。部屋にいられる人になりたいのだ。

音楽の話しに戻る。これから先、音楽が好きだと言っても、物質的にそれを示すことができなくなっていくだろう。ぼくの家はもうそうなっているし、音楽が好きだと言って見せられるのは、自分のウォークマンか自宅の音楽データの一覧だろうか。実に味気ない。文字だけの情報。文字といっても、アーティスト名と楽曲のタイトルだけだ。しかも、好きでもないものも入っている。これが好きだと言ってしまうのも、気が引ける。ヘヤカツの本棚のように、人に見せるための本だけ本棚に残すという工夫をしたりするには、少なくともCDのような媒体を持っている必要がある。

しかし本当は、音楽は物質的に存在するものではない。さらには人が歌っているのだから音楽は人だ、ということもない。音楽は人によって演奏され歌われるが、その歌われる音楽を再現するために、データとして記録され、CDに記録されたり再生機に直接記録され、再生される。ぼくが語りたいのは、音楽を歌う人でもなければ、記録されたCDやデータのことではない。ぼくにとって語りたい音楽とはつまり、聞こえている音や声を受け止めた自分のことなのだ。ぼくはその音や声が聞くための再生するものについても、自分が好きだと思うものを使っている。それが今の時点だと、SONYのウォークマンNW-A880だったりポータブルアンプのPHA-2だったりするのだけど、今音楽について書くとすれば、これらから聞こえてくる音楽について書くことになる。

好きな音楽のことを書きたいのに、どうしてこうなってしまうのだろうか。