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iPad AirもiPad mini with Retina Displayも欲しいけれど

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iPadはRetinaではないiPad 2を持っている。
 
今日発表されたiPad AirとiPad miniはとても気になる。特にiPad Air(wifi)の469gは魅力的だ。iPad mini(wifi)も331gもとても軽い。しかし今持っているiPad 2は思うほど使わなかった。それが外で使う気になれず持ち歩かなかったせいだとすると、持ち歩くことができれば使うことができるかもしれないという期待がある。
 
ぼくは最近考えはじめた「モノを持たない生活」の考え方として、持ちたいと思うモノの魅力とそれを毎日使うというイメージが結びつかないモノは「持つ必要がない」と捉えるようになった。持つ必要がないモノを持つことは負担にさえなり得る。モノを持つことによる満足感は常に使ってこそのもので、もし使えなかった場合の、モノを使っていない圧迫感は逆に自分を苦しめる。そのモノから価値を得ようと思ってしまった瞬間に、モノの存在に呪われてしまう。逆に、使うことによって満足を得ているモノに対しては価値など気にしない。
 
今持っているiPad 2も一時期持ち歩いていたけれど大きすぎて持ち回りが悪かった。その後iPad 2を何に使ってきたかというと、家に置きっぱなしで、たまに読書をしたり、たまに大きな画面で執筆をしたり、たまにゲームをするくらいだった。1日に1回も触れない日の方が多い。「家に置きっぱなし」がどれだけ意味がないかというと、寝ている時間を覗いて、ぼくは多くても家に1日3時間くらいしかいない。その中で朝30分は出かける準備であり、夜の30分はシャワーで、また30分くらい外を走ったりもする。つまり実質1〜2時間程度しか部屋で落ち着いていない。会社から真っ直ぐ帰ってくればそんなことはないのだけれど、家に居ても何もできないため、あまり家にいないようにしているのだ。
 
生活におけるぼくの行動パターンはとても少なく、会社関係は抜いたたとして、以下の項目におさまる。
ほぼ毎日すること
・ブログや小説を書く
・本を読む
・音楽を聴く
週に1回やること
・テレビ(録画したアニメなど)を見る
・床掃除や洗濯など家事をする
たまにやること
・映画や本屋に行くなど
・Blu-ray/DVDを観る
・ゲームをする
・料理をする
さっと挙げると10個くらいだ。
 
この毎日やることというのは、基本的に外でやることで、さきほども書いたが、むしろ家の中では全く捗らないことである。なぜか家では読書ができないし、書きものもできない。そのほかのアニメを見たり家事をするのは家でやらざるを得ないこと。そういう家でやることは休日くらいにしかできない。家に居ても読書や書きもののやる気がでるように部屋を改造する計画はあるが、それでも家では食事をしないため外に出ることが多いのは変わらないだろう。
 
今このブログは地元のモスで、iPhone5を使って書いている。座って書くときはBluetoothのキーボードを使い、立っているときはフリック入力で書く。もしiPad Airかminiを持ったとしたら、iPhoneiPadウォークマンのNW-F887がテーブルに出されることになる。あと本も出すかもしれない。ここでのiPadの出番は、書くことだろうか。電子化した本を読むということも考えられる。あとはウェブを見ることくらい。iPadの大きい画面でメリットがあることは読書くらいだ。そこでiPhoneをやめるということを考えてみる。iPhone5をiPadに機種変更するか追加してauの回線でiPadを使い、iPhone5を眠らせる。しかしTwitterやブログを立ったまま書くときはどうしよう。そのときだけiPhone5を出すのか。なんだか無理矢理iPadを使おうとしているようにしか思えない。無理矢理といえば、本は読む前に電子化してしまいiPadでしか読めなくすることで、iPadでの読書を自分に強要することも考えられる。やっぱり、ここまでしてiPadを使う自分を作り上げなければ活用できないのは、本末転倒と言わざるを得ない。これではiPad 2と同じ運命を辿るに違いない。
 
ぼくが今度iPadを買うのは、iPadが毎日持ってでかけたいモノになってからだ。