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手帳が彩らない日々(1)

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毎年9月くらいから来年の手帳が売られる始める。それから3ヶ月くらい、1年の1/4くらい手帳に関することを店先や雑誌などで目にすることになる。これら手帳に関する情報は普段から手帳を使っている人に向けたものもあるだろうし、今まで手帳を使っていなかった人に使ってもらうためのものでもあろう。

ぼくは毎年、手帳そのものや雑誌などの特集を読んでは、手帳の輝きに惹かれてしまう。雑誌に載っている他人の手帳を覗き見しては、手帳の魔法にかかりそうになる。

ぼくが手帳について考えはじめるきっかけは毎年同じ、来年の「ほぼ日手帳」が予告される時期からである。数ある手帳のなかでも、ほぼ日手帳の素敵感は堪らない。発売されたことが分かったら中身を確かめにロフトに行く。カバーもたくさんある。見本をペラペラめくり、ここに書かれていくだろう「何か」に思いを馳せる。その「何か」はまだ分からないのだけれど、ほぼ日手帳は「何か」がぴっちり書き込まれていくのだと妄想する。ほぼ日手帳を特集している雑誌やほぼ日手帳のガイド本を立ち読みしては、実際に使っている人の手帳を見て、きらめく日々の想像を膨らませていく。ぼくは来年こそ、素敵な手帳を書いているはずだ。手帳を書けば素敵な自分になれる。こうして手帳の輝きに脳が眩んでいく。

しかし我に返る。家には2008年から去年の2012年までに買っていたほぼ日手帳が残っている。その中で2011年は買っておらず、対して2012年はノーマルとカズンの2冊買っていた。ちなみに今年2013年は買っていない。2012年になぜ2冊買ったかは、2011年の後半に2011年を反省して、なんでも書いてやろうと意気込んだのだろう。

ちょうどその頃、「ほぼ日手帳HACK」という本や岡田十四夫の「スマートノート」を読んだり、年次計画やら週次計画、GTD、Todoリストなどに夢中だった記憶がある。そして今度こそ、ぼくの中心にあるべきは手帳だろうと考えていたのだ。

実際その手帳がどうなったかは、とても簡単に説明できる。「ほぼ白紙」だった。最初の1ヶ月くらいは何かを参考にして計画していたりしていた。スマートノートで思考を何でも書いてみようというのを1ヶ月くらい実践していたりもする。しかし結果的に継続できていない。ノーマルのほうは確実に1年間鞄に入れていたのに、何も書いていなかったのだ。いまとなっては、気に入って買ったカバーをどのくらい眺めただろうか。ほぼ日手帳には「空白でもいい」なんて謳い文句があるけれど、空白しかない手帳はただの紙だ。

そこでぼくは2012年から今年にかけて、手帳について改めて考えることにした。

(つづく)