捨てる前に写真を撮る。

 物を捨てることに抵抗が出てきている。もう抵抗があるようなものしか残っていない。手に取ると動きが止まってしまうようなもの。そういうものは捨ててしまった方がいいということは頭では理解していても、体はそのように動かない。そもそも今住んでいる家が、かつて同棲して結婚して別れた場所なのだから、そこら中にそういうものが溢れていてもおかしくない。見て見ぬ振りはできる。けれど、ぼくが死なないのであれば、いつかそういうものに出会う。思い出としてだけではなく、物理的に、そこにあった物として。
 これは昔の良い思い出を思い出すというわけではない。その人を思い出すとき、ぼくは嫌悪感しか沸いてこない。世界にいなくても良い存在なのだ。しかし物に宿るものは違う。物への愛着というのは、ただの物体でしかないという性質から、薄れることがない。薄れるどころか強くなるばかりだ。それも、もう何年も見ていない、あったことすら忘れていたはずなのに、ぼくはその物を見て、手にしたら、心を離すことができなくなるのだ。
 今それらを手放し、あったことを次第に忘れようとしている。しかしそれは完璧ではない。なぜならぼくは、捨てようとしている物の写真を撮ってしまったのだ。どうしても捨てられない物は写真を撮って捨てよう、なんて言葉を思い出してしまい、思わず写真を撮ってしまったのだ。今はその写真を消せない。写真を紙にせずデジタルデータである限り、これから未来に蓄積されていく他の写真に埋もれて、古い写真など見つけることすら困難になっていくことは違いない。こうしてぼくは、忘れたいのか、忘れたくないのか、忘れようとしているのか、なにをしたいのかわからないけれど、とにかくこの家から出て、新しくならなければならないときがきたのだ。