労働の変化

 久しぶりに遅くまで仕事をして、このブログも電車内で書いている。

 このブログを始める前は、たびたび徹夜したりしていたものだけど、この一年は何故か、あまり遅くなることがなかった。やっぱり仕事は長時間やるもんじゃないなと感じるけれど、これが続くと慣れてしまうのかもしれない。

 しかし、このやる気のなさみたいなものは、なんなんだろう。暑くて調子が悪いとか、朝早く起きるから眠いとか、そういうことが理由なのだろうか。ここまで仕事に対して虚しくなってしまっていることに、まだ違和感があるのはたしかである。

 農業革命前は食べるものは必要な分だけ狩ったり栽培するなどして調達していて、計画的に生産することなんて考えもしなかった。農業革命において、計画的に食物を生産することができるようになり、食料を作るということが労働になった。その後また産業革命が起こる。産業革命では生産の領域が拡大するのだけれど、労働に関しては、組織的になり効率化が進むことになる。女性と男性の分業制も効率化の1つである。

 だいぶはしょるけれど、こうして食べるために働くということを強いられるようになる。働かないと食べられないということは、人としての生きがいや、やりがいというものは、労働そのもののなかにしか求められなくなる。もちろん、子育てや家事も同じだ。

 僕がいま偶然、仕事にはやりがいみたいなものがなくなっているのは、本当は偶然なんかじゃないのかもしれない。女性が子育てや家事にやりがいを感じられなり労働の領域を広げてきているのも、別に女性がそれを求めているからではなくて、今までの労働社会の仕組みを根本から変えようとする力が働いているからかもしれない。

 人や社会はどうしても、自分はこうだからという視点になってしまうが、自分がこういう視点を持っている理由、それも学校や親や今の世の中ではなく、歴史などのもっと広い視野に立つと、もっと根本的な力が働いているような気がしてならないのだ。