生きづらさを語る。/ 「方丈記」(鴨長明)

 生きづらさみたいなものは、人がそれぞれ持つ個性のようなものである。それゆえ自分の生きづらさのようなものを書くということは、自分の個性を語ることだといえる。生きづらさだけでなく、そのなかでどう生きているかを書くこともまた、自分の個性を語っているということ。人それぞれが持ちうる言葉を使って表現される個性は独特である。その独特な個性に、ときに惹かれたりすることがあるから、他人が書く文章を読むのだと思う。

 鴨長明の「方丈記」を読んだのだが、今のブログ的な文脈で一部を解説するとこんな感じだろうか。

 一流企業に就職して、生活のためお金のためと思い、毎日夜遅くまで働いてきました。しかしあるとき仕事をする意味を見失うときがあって、段々自分は何のために生きているのか分からなくなり、立ち止まってしまいました。それでも生活をしなければならず、考えることをやめたほうがいいと仕事に集中することにしました。その見返りとして、最新の家電を買ったり車を買ったり、引っ越して家も大きくなってきました。また友達もたくさんいて、休日は良く出掛けていました。しかし徐々にみな結婚やら転勤やらで、段々一人でいる時間が増えてきて、するとまた無常感に覆わることが多くなってきました。僕は20代前半を会社に捧げて突っ走ってきました。それなりに成果も出しました。しかしもう限界です。一体今までお金や時間をかけて手にしたものは自分に必要なものだったのでしょうか。僕はこんな世俗にまみれた生活を一旦やめることにしました。退職金と貯金があるので、しばらくは何もしなくても大丈夫そうです。こうして誰にも邪魔されない自由を手に入れました。するとだんだん持っていたものも使わなくなり、多くのものを捨てることができました。そして住んでいた家もコンパクトにしたらもうお金なんてなくても十分やっていけます。毎日朝起きるのが楽しみで、生きているという実感があります。これが自由。本当の幸せなんですね。

 「方丈記」は、鴨長明のその時代における自分の生きづらさを、随筆や詩、掌編小説などの形式を用いて、語り尽くした作品である。現代のブログと一緒にするのも微妙であるが、ブログみたいなものかもしれない。
 自己言及を重ねて、世間を客観的に捉えて、また自己言及をする。もちろんそれ以外に、災害や飢饉を卓越した文章力で書き残した、歴史的価値のある作品であることは間違いない。だからこそ、現代にも読まれ続けている。 

 そういえば、まったく関係ないが、ぼくの風貌は鴨長明のような感じかもしれません。
 興味ある方はWikipediaにてご確認を。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%A8%E9%95%B7%E6%98%8E