自分がない。

 あるとない。内側と外側。円を見るぼくは、円の中と円の外の世界を認識する。

 ぼくはできるだけ、自分に関わることはすべて、納得して理解したいと思いながら過ごしている。

 理解したいという思いが強いからなのか、それとも排他的な考え方が苦手なのだろうか。他人のいうことで、ぼくにはない考え方に出会うと、その前提を知りたくなる。

 前提を合わせてから、異なる考えがあるのなら言ってみる。しかし打ち解けた人や仕事でなければ、どうしてそう考えるの?と聞くのはなかなか難しい。これはぼくの性格的なものだろうけど。だから言っている人がそういう性格なのだろうとか、何かを見て言っているのだろうとか、前提にしている何かを探ることで、理解し納得しようとする。

 しかし、やはり理解しようという思いがあることから、理解できるように前提を作りだしてしまうところがあって、ときには、自分がないという言われ方をするのではと考えることもある。自分がないなんて状態はよくわからないけれど、自分がないんだろうと。まあ、ぼくのことはいいじゃんって思ってしまう。それが良いことかどうか、まだわからないでいる。