仕事をしているのは親切心か?

 昨日、ぼくはなぜ働いているかを考えたのだけれど、それはもしかしたら、親切心なのではないかと思った。おせっかいともいえる。その親切の報酬は給料なのだけれど、仕事をする理由は会社という場所がぼくのなかにある親切心を与えることができる場所だからだ。

 これはアドラーの言葉でいえば、貢献心かもしれない。

 人が幸せだと感じるのは、他者に貢献できているときだという。ぼくは会社にいけば貢献できる他者がいるから、会社に所属しているのだろう。それはかりそめの貢献感かもしれないけれど、幸せと感じてしまっているとしたら、それを手放せるわけがないのだ。