Answer(アンサー)で悩みに回答した。

 Answer(アンサー)というサービスがある。nanapiという情報サイトが運営していることを以前から知っていて、今日すこし時間があったので登録して覗いてみた。ぼくは自分のこともそうだけれど、人はどのような質問・悩みを持っているのか。またそれに答えるとはどういうことなのかを知りたいと思っていた。

 Answerは匿名であることから質問も回答もざっくばらんだけれど、回答が荒れていない、雰囲気は良い感じだ。ここまで閉じられてしまうと、ディスってもしかたないということだろうか。というか、本当に下らない質問には適当に返されていることが、ある意味ディスりなのかもしれない。

 質問の文面から、真剣だと思える悩みも数多くある。辛いことは言葉にすることにより増幅されることがある。だから悩みが深いほど、どうしようもない文章になってしまう。すでに誰かがしている回答が明らかに的外れだったりすると、干渉したくなってくる。いや、そもそも悩みに何か答える場所なのだから、干渉もなにもないのだけれど。ぼくはすでにある流れから、その悩みの真意を読み取ろうとして、掴めたと思う本質に寄り添えるような答えを探していく。しかしぼくも熱くなると、途中でフリックする指が止まってしまう。正論が正しいのか、分からなくなるのだ。正論をぼかして、柔らかくしているつもりでも、その正論感が圧力にならないかを考えてしまう。それで結局、単なるオウム返し+ポジティブな言葉のようになってしまうことが数件あった。そのオウム返しに前向きになれたとか言われるのだけれど、おそらくそれでは悩みは解決しない。そもそもこういう場所で悩みを打ち明けるというのは、解決を求めていないのかもしれないとも思う。正直、そこはよく分からない。

 オウム返しを繰り返してながら数人の方と会話をした後、悩みを書かれている方には申し訳ないと思いながら、自分の話をした。偶然自分が経験が使えそうな悩みをみたからだ。上から目線にならないように気をつけながら、場にそぐわない長文の回答を書いた。その結果どうなったかというと、「いいね」みたいなボタンを押してもらえた。ただそれだけだった。「いいね」みたいなものをもらえたのはぼくだけだったので、ぼくの回答が役に立ったのかもしれない。そしてこの回答のあと、脱力感とともにアプリを閉じたのだった。

 こういうサービスでの悩み相談というのは難しいと思ったけれど、それ以前に、書いてあることを理解することが難しい。悩みを発端としたコミュニケーションといってしまえばそれまでなのかもしれないけれど、「悩みを聞く」という感じではなく、「悩みに回答する」という感じなのだ。短時間で結論づけてもいけないとも思うが、これではコミュニケーションとして成立していない。しかしなんだかんだ、ぼくも気になったように、世の中こういう場所も必要なのだろう。そして今はまた今度、誰かの悩みに回答してみたいと思っているのだから。