『「今」を大事に生きること』ができているか。

 今朝、バックしてくる車にぶつかり地面に全身が打ちつけられるという交通にあってしまい全身が痛んでいる。電話中だったスマホの画面も割れてしまった。しかし受け身が良く厚着をしていたからか、見た目の外傷はほとんどなく、体の中の異常もなかった。

 人はよく「今」を大事にしろ、という。「今」を大事にと言い続ける人は、「今」を『「今」が大事だ』と自分に言い聞かせ続けることで過ごしている。つまり、その人にとっては『「今」が大事だ』ということが、「今」を大事にしているということだろう。いじわると言っているようだけど、ぼくが今、このことを書いていて虚しくなるのだから、そうとしか思えないのだ。

 そういうぼくは「今」を大事にできているか。人には理解できないかもしれないけれど、ぼくは「今」を大事にするつもりで、いつもなるべく同時に2つのことをやるようにしている。1つのことへの集中を目標にしない。どちらかに集中していれば良いという状況を作り出すことで、「今」を担保していく。ありがちな例でいえば、家でBlu-rayを見ながら、部屋が気になって掃除を始めてしまい、Blu-rayの内容を覚えていなかった。そんなときも、部屋の掃除をしたことを考えれば、有意義な時間を過ごせたと思うことができる。

 外にいるときはたいてい、読書とブログの執筆が並行している。そこにはルールがあって、今読んでいる本のことはブログに書かないということを肝に銘じている。ぼくが本のことをブログに書くときは、前日より前に読んだ本を選択している。なぜそういうことをするかというと、引用をしたなくないからだ。本を読みながらその本についてのブログを書くとなると、どうしても引用してしまいたくなる。自分が考えたことなんかより、本に書いてあることのほうが的確であり高尚なのは当たり前なのだ。だからぼくは、読書の内容とブログの内容を全く別方向にすることで、読んだ本を想起しながら書くことで、より自分のなかでの消化を高めている。

 読書とブログに関わらず、同時にやっていることはお互いにリンクさせない方がいいのは、もう1つの理由がある。それは、最低でもどちらかに集中したいのにそれらがリンクしていたら、共倒れしてしまう可能性が高くなる。例えば会社にいるときにブログのネタを考えるときも、仕事と関係ないことに頭を切り替える。このブログに仕事のことが書かれない理由は、そういうことだ。その上で、仕事を終わっても仕事のことを書く気持ちになれないというのは、あとから分かったことでもある。

 以前このブログの印象を、「日々の考察を淡々と綴られている」と紹介頂いたことがあったのだけれど、それは今この瞬間にやっていることを書いていないからだろう。それでも今日はもっと事故のことを書けばいいのにと思わないでもない。しかし書き始めるとだんだん「そのことを書いてもなあ」って思ってしまったのが事実である。自分のことながら、不思議だと思ってしまう。

 こういうこと考えていくと、本当は、ぼくは「今」を描くことが苦手で、「今」を受け止める力も弱いのではないか。そしてぼくは、「今」を大事に生きることができていないのかもしれない。