「日記」を書くことにした。なぜあえて「日記」と書くか。すでに「ブログ」や「Twitter」は書いているから、それとは別に「日記」を書くということだ。ぼくはなるべく「ブログ」と「Twitter」をリンクさせないようにしているので、これから書く「日記」もそうしたい。人格が違うくらいにしたいけれど、そこまでは難しいことをわかっているから、あまり気にしないことにしている。
今日は、日記を書くと宣言をして書いた日記を元にブログを書いてみようと思う。と、ブログにしていたら、すでに書いた日記がかなり変形してしまったのだけれど。
僕の日々の行動は、大きく5つに分類できる。ひとつの項目に複数入っているのは、分類の都合である。僕は常にこの5つの分類のどれかをやっている。
【睡眠・シャワー・身支度】
【読む・観る・書く】
【食べる・飲む】
【家事・ヘヤカツ】
【会社のこと】
項目に【話す】ということがないのは、残念なことに友達や家族がいないからである。家族や恋人がいるとしたら、【話す】時間はきっと大切な項目になるはず。また、
Twitterやブログは会話ではないので【話す】に入れることができないでいる。これから「日記」に書くこととすれば、この分類に基づくことになるかと思う。
「日記」にしてみれば、このブログを書いたことも、「今日は日記についてのブログを書きました」という1つの出来事になる。なにが楽しいかわからないけれど、ブログを書いたときの気持ちとかは「日記」に書くのかもしれない。ブログには「あと書き」みたいなコメントを書かないので、それを「日記」に書けるとしたら、すこし楽しみでもある。
「ブログ」と「日記」についての違いは、さきほどの項目を元に、過去、現在、未来を横断させ、視点の幅を持たせて立体的に書くのが「ブログ」で、今日の事実を書くのが「日記」だろうか。別に今の僕がそういう風に書けているというわけではなくて、「ブログ」を書き「日記」も書くなら、違いを明確にしたほうが良いだろうと考えている。
まああと、最悪どちらかが書けないときにどちらかを使えばいいという打算もある。こうしてまた書くことの敷居を下げていく。言ってしまえば、いつでも何かを書いている状態で過ごしていてもいい。そのためには、あらゆるときに対応する書く手段を持っていたい。
Twitterでも短歌でも日記でもブログでも小説でも読書の考察でも、あらゆることがぼくによって文字になっていくということが楽しいから。