ブログの歯車を狂わせる。

続いていることが終わるときは、だいたいどこか歯車が狂っているものだ。

そういえばこのブログでは恋愛の話しをしたことがないと思った。何ヶ月も続けているのに、そのくらいに縁遠いものだということだったのだろう。今日なぜ恋愛を思ったかというと、ミスタードーナツで恋愛の話しをしている女の人達がいたからだ。耳を逸らすことができないくらいに大きな声で、大勢で話していた。五月蠅いなと思いつつも、そういえば恋愛の話しを書いたことがなかったことを思い出した。しかし今までの淡々としたブログに恋や愛の話しは似合わない。歯車を狂わせてしまわないかと少し心配になった。

このブログは1日でもアクセス数が0(ゼロ)になったらやめようと思っている。そうならないと今のところは信じているけれど、去年まではここまで減ることは想定していなかった。現実的に今日も順調にアクセス数が減っているようなので、今の割合で減っていくと、1月末くらいにはアクセス数0の日が来るかもしれない。12月の時点で1日1000までいったら有料版にするとかいってたのが恥ずかしくなってきた。もしぼくのブログを読みたいという人がいるのなら、1日1回嫌々でもアクセスするといい。

まあ気を取り直して、このブログが終わる前に、もう少し書くことの幅を広げてみようと思う。これまでもテンションが高くなるようなことを書いたことはないけれど、恋愛という、さらにテンションは下がっていくことを書こうとしている。心が折れて更新が止まるかもしれない。

なぜなら、恋愛について考えるにも書くにも、なにをどうしたらぼくが恋愛の当事者になれるのか、想像ができないのだ。人は恋をする可能性あって、人から恋をされる可能性もあって、恋をして恋をされる組み合わせと状況が上手く整えば、恋人になることがあるのだということも知っている。あと、恋人となったあとに二人で行われる色んなことも、知らなくもない。さらに恋人同士が結婚をする可能性があることも知っている。結婚をするということは離婚する可能性もあるということも知っている。この辺の知識は、今のぼくでも、まったく問題ない。

ぼくはこのブログで知識を書くようなことはしていない。ぼくの思考や感覚を、時間の制約か言葉が尽きるか、もしくは疲れるまで書いている。知識が役に立たないとは言わないけれど、ぼくが役に立つ知識を書けるかというと、それは難しいと思うから、いまのぼくは自分のことを書くことにしている。これでぼくが恋愛についてなぜ書けないか、わかるだろう。ぼくは恋愛に関する自分の思考や感覚や言葉を持ち合わせていないからだ。

だからといっては何だが、恋愛について書くときは、すこし指向を変えてみようかと思う。落ちぶれていくブログの断末魔的恋愛論や恋愛ブログを虚実交えて書いてみたい。書ける……かな。