ブログのアクセス数が下降の一途をたどっている。

しばらく目を逸らしていたけれど、そろそろ言及しないわけにはいかない。

昨年末にこのブログの継続3ヶ月を過ぎ、今も相変わらず毎日書き続けているのだけれど、3ヶ月のときに500くらいで落ち着いたと書いていたアクセス数が下降の一途をたどっている。それも急激に落ち込んでいる。今日は恐らく200に届かない。

ブログ開始3ヶ月はビギナーズラックだったとしか思えない。はてなブログは初心者に優しかったのだ。

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このとおりアクセス数は順調に下降してる。

こうなった本質的な理由は、実際に書いているぼくには分からないかもしれないけれど、書かれている内容が面白くないからだろうことは確かだと思う。これは想像だけれど、3ヶ月までは「ブログを読む人」の枠があり、その人たちの初めて来るアクセスがあったからアクセス数が多かったのだろう。3ヶ月以降は残りの「ブログを読む人」の枠が減ってきて、かつ初見だった人にこのブログはリピートする必要がないと判断されていたため、忘れ去られている。

これが正しければ、これからも偶然見に来てしまった初見の人に向けて書き続けるしかないのだろうか。そしてもしアクセス数を増やすなり安定させるためには、まずリピーターを増やすことを目指さなければならない。しかしこのブログは何かテーマを絞っているわけでも、有益な情報を提供しているわけではないので、次は何が書かれるのかと楽しみにする理由が見当たらない。

ぼくは承認欲求を満たすためにブログを書いているところもあるけれど、それだけではないから続けられるのだと思っている。時折もらえるはてなスターや読者登録に喜びながら、次は何を書くのだろうと、自分自身が楽しんでいる段階だ。逆に、読む人の喜びまでを考えられていない。他人に承認して欲しいのならば、その人たちに喜ばれるようなことを書かなければならない。

書くことを芸術とするならば、芸術とは、人を励ますものである。読者を暗い感情にさせたりすることも含めて、感情を動かすという人間的な活動を活発にさせるものが、芸術である。芸という術を使って人の心を動かす。ぼくは自分の創造という芸を言葉という術を使って、人の心を動かしたい。そのためには、まず自分の情動を理解しなければならないと考えている。ぼくの情動を吐き出した後に、ぼくにはない情動を作り出すことができる。本当にぼくの中にない、芸術としての情動を描くには、それなりの覚悟が必要だ。

ブログの外の人との関わりで、ぼくが自分の情動を外に出せればいいのだけれど、ぼくにはそれがない。だからこのブログがある。毎日何かしら心動く自分のことを受け止めてくれるのがこのブログなのだ。ブログに書かれているのはただの日記だけれど、ぼくにはとても大切なものになってきている。