iPhoneを手放したくなる。

先日iPad mini Retinaが届き、持ち歩いて使うようになった。「モノを持たない」と言っているくせに身近なものは増えてきている。用はバランスの問題かもしれない。身近なものを満たし、毎日使わないようなものをやめるなり捨てていくことで、安定していくのだろうか。

ここでなぜiPad mini Retinaを買ったかというと、電子化した本を読めるようにするためである。電子化する勢いをさらに加速するために、読みやすい環境を作りたかった。実際、iPad mini Retinaはウェブ電子化した漫画も小説も少し大きめの本まで、とても読みやすい。本を読むには画面が小さかったiPhoneでの弱点を十分に補っている。

そんなこんなで、今はiPhoneiPad mini Retina、そしてガラケーウォークマン、端末を4台も持ち歩いている。このなかで手放すとしたら、できればiPhoneを手放したい。しかしiPhoneは、手に馴染む素晴らしい端末である。手に馴染みすぎて、ついつい長時間触ってしまう。反射的に起動するTwitterアプリ。画面全体が視野に入ることによって、否応にも集中力が高まってしまう。知らない人のTweetを見ながら気になる記事に飛んで、そこからまた別の記事に飛んで、いつの間にか30分、1時間経っている。この時間があれば、自分で何か書けただろうし、書けないにしても、本でも読んだりしていたほうが、まだ時間の使い方としては有意義だと思ってしまう。後悔しても仕方がないことだけれど、後悔しても仕方がないことを減らすようにしたい。

身近なものを大切にしたいと思いつつ、持っていることで後悔していまうことがある。そうすると、今だと、iPhoneを手放ししたくなる。しかしiPhoneとの関わりは、ここまで書いたような能動的なことのほかに、受動的なこともある。情報のプッシュ配信もその一つだけれど、これは自分で設定を解除すればいい。逆に自分では解除できない、解除したくない、他の人から連絡がある。あるといっても、ぼくはほとんど来ないのだけれど、メールやTwitter、LINEなどがそうだ。ぼくはまだ人と連絡が取れる可能性としては残しておきたいと思う。だから今のところはiPhoneを残さざるを得ない。ガラケーAndroidのスマホにすれば、おサイフケータイもLINEもTwitterもあり機能的には満たされるけれど、Androidにはかなりの違和感があるから、しばらくは端末に囲まれていようと思う。