なにかを思いつくことが楽しい

ぼくは「書く」ということに躊躇していた。その理由は、「書く」ことは、ぼくができる最後のことのように思っていたからだ。ぼくの本当を、魂みたいなものを書いてしまったら、燃え尽きて死んでしまうのではないかとさえ思っていた。

しかしぼくは幸い、魂を言葉にする力量がなかった。

昨年くらいまで、ぼくは何かを書こうとするとき、ちゃんと机に座って、パソコンの縦書きで書けるエディタで、落ち着いて書こうと考えていた。iPhoneなどにメモは溜めておくけれど、清書はパソコンを使わないとちゃんとしたものが書けないと思っていた。しかしその準備に辿り着くまでが遠く、結果的に思うように書くことができなかった。さらにはたまにパソコンで書いたすると、異常に肩が凝ったりして、パソコンだけでなく机や椅子が悪いからダメなのだとさえ思っていた。今思えば、書きたいのに書けないのではなく、ただ書かなかっただけだった。

今年の前半くらいに「角川Twitter小説コンクール」なるものがあって、それにリアルタイムで小説を書いてみるということをした。Twitterを使って投稿するという仕組みから、手持ちのiPhoneで執筆することにした。このリアルタイムで書いていた小説については結局完成させられなかったのだけど、小説にかわって短歌を書き始めた。ひたすら短歌を作って、短い間に100首以上を作って投稿していた。その後、短歌を作りながら書いていた短編小説を完成させることになる。これに引き続き、このブログを始めて、今に至る。

自分が何を書きたいのかはよくわかっていない。色々フォーマットを変えて書いているけれど、思いついたことを書いているような状態である。この思いつくということが楽しくて、いつもなにか思いつきたいと思っている。思いつくというのは、「思い出す」かもしれないし「思い至る」かもしれない。思いついたことから文章を創っていくことが書くということである。この書くという行為について、誰もが書けるようで、実は書ける人は限られる。書くことは、考えることが苦手な人、自分にとって新しいことを考えずに、常識や今までの自分にあるものを大事にしている人には難しいことだ。対してぼくは大事に抱え込むようなことは持ち合わせていないので、なにも思いつけないということは、なにもないことと同じ。なにも考えなくても、誰かがなにかをしてくれるような、幸せな立場にいない。なにもなければ、昨日の繰り返しになるが、虚無感に覆われる。ぼくはそれが怖いから書いたり読んだりしていて、おそらくこんな風にしているかぎり、魂が燃え尽きることなんてないのではないかと思う。