楽しいことがない

昨日の続きだが、ぼくには楽しいことがない。楽しいと言える相手がいないから、楽しいという状況を作り出せない。ひとりで楽しいことなんて世の中には存在しないとさえ思う。楽しいというのは楽しいと感じている相手と感応・呼応している状況であって、ひとりで楽しいというのはあり得ない状態であると考える。ひとりでテレビを見て笑えるのは、テレビの中の人に感応しているからだ。

ぼくはどんなことも、苦々しい表情でやっていると思う。楽しいと思っているというより、夢中になっているような。夢中になれていないときは寝てしまう。眠って夢の中か、起きて夢中か。そのどちらかを求めているようにも思えてくる。夢中になれていなかったときは後悔してしまう。このブログを書き始めてからは、思いつきでも、聞いている音楽の歌詞でも、メモをとるようになってきた。別に楽しくない。

楽しいことなんてなくても、きっと生きていける。でも楽しくない人には誰も興味を持たない。さっき書いたように、楽しいという感情は感応・呼応の結果なのだ。ぼくと居ても楽しいという感情すら浮かばないのは、恐らく態度や表情に表れていて、だから人が近づいてこないし、ぼくが近づいても避けられる。

楽しみのない人生を楽しく生きるにはどうすればいいのだろうか。