やりたいことがない

以前「やりたいことをやっている」、と書いたが、あのニュアンスは、「やらないといけないことを、やりたいようやっている」に近い。

ということで、というかなんというか、ぼくにはそもそも、やりたいことがない。

休日に何をやっているか、特に会社関係の人に聞かれると、とても困る。「なんですかねー、用事済ませてボケっとしてます」とか、そんな感じになる。それなのに連休が取れるときは一気に取ってみたり、割と休みを取りたい人ということで認識されていると思う。でも休んで何をやっているかは分からない。ブログを書いているとか本を読んでいるとかアニメ観てるとか、そんなこと言っても何にもならないし、ぼくの個人的な活動は会社での活動と一切リンクしない。

会社での行動は会社が残すものの一部になる。それもいつか捨てられるようなものだ。たとえばぼくが65歳まで働いたとして、今やっていることは無価値に近い。個人的な活動であるブログはどうだろう。書いた文章は残るけれど、それはぼくにとって既知のことであり、ぼく自身に何かが残るわけではない。本を読むことについては、未知は既知になる。未来なにかを書くための何かが残るかもしれない。

そもそもぼくがやりたいことはなんだろう。当然仕事なんてしたくないけれど、仕事以外の時間になにもしないためには、仕事をしなければならない。1日数時間のなにもしない時間と6時間の睡眠のために労働をしている。労働の見返りとしては若干心許ないけれど、他に何を引き替えに働けば良いのか、想像がつかない。結婚したり子供がいたり、また恋人がいたりしたら、そういうものを引き替えに仕事をやりたいと思うようになるのだろうか。それとも、引き替えにしているものは「時間」だろうか。自分の人生の時間と引き替えに、やりたいことをやる。命をかけてやる。やりたいことが何かの引き替えだとするならば、ぼくにはやりたいことがない。それは引き替えるものがないからだ。