モノを持たない生活を目指した暮らし方(2)

モノを持たない生活に関して、やっていることがあった。もう当たり前になっていたのだが、模様替えの時期になって思い出した。

それは何かというと毎日着るスーツのことである。

ぼくは体型が変化する度にスーツを買い直しているため、ここ数年は毎年新しいスーツを買っていた。スーツを買う頻度については多いのか少ないのか分からないが、1年毎に捨てているのはどうかと思っていた。そこで今年は2着買った時点でやめてみた。基本的にはメインの1着をずっと着ていて、クリーニングを出している期間だけもう1着を着る。そのメインの1着は1ヶ月くらい着続けるのだけど、それが出来たのはユニクロのステテコのおかげである。夏場でも汗がスーツのズボンを痛めにくくしてくれた。毎日形態を維持するタイプのファブリーズをかけておけば、1ヶ月は余裕でもった。つまり今年の夏は、ほぼ1着のスーツで過ごしたわけである。

1週間分、5着なりを持つことでスーツを長持ちさせることができるとも言われているけれど、一体何年同じスーツを着続けるつもりだろう。ぼくは体型が変わってきたので毎年買うことになってしまったのだけれど、そう体型が変わらないというのであれば効果があるかもしれない。けれど、そもそも沢山持っていること自体に必要性を感じなくなった。

冬服も実はすでに去年からの持ち越しで4着ほどある。まずは最もサイズが合う1着だけを着続けて、クリーニングに出すときだけもう1着を空けてみることにする。そして3ヶ月経った時点で着ていないスーツは捨てる。さらに冬服を整理していて気づいたのが、ネクタイとワイシャツである。特にネクタイはひどく、ぱっとみ20本くらいはあった。毎年気分転換と称して癖のように買っていた。ワイシャツは週1でクリーニングに出すことから10着以上は必要になるのだけれど、それでも持ちすぎている。なので今年の冬は、ネクタイは2種類に絞って、ワイシャツはそのネクタイに合うもの以外着ないことにする。

こんな風にすると毎日同じスーツを着ている人になるのだけれど、他人のスーツを気にすることがあるかと言われると、ぼくはない。気にされることに違和感もない。汚れていたり変な臭いがするなんてことはないのだから、気にされることなんてないとも思う。

最後に話は少し逸れるが、着る服を毎日固定にするというのは鬱防止にもなるということを言う人もいる。これは毎日クローゼットの前で何を着ようか悩むことを防ぐということだけど、毎日クローゼットの前で立ちすくむ時点で何かおかしいと思わなければならない。だから、ぼくは自分がやっているのは鬱防止とか、そういう見方をすることは避けている。

ただぼくは、生活をコンパクトにすることで資本主義経済から少しずつ外れていき、はやく会社から出て、固定時間の労働と物書きで食べていきたいと思っているだけだ。