映画「フォレスト・ガンプ」を観た。

 今朝前の家に戻り粗大ごみの回収1回目が終わった。次回23日で全てが捨て終わる。しかし今日は、近隣の人に注意されるという事案が発生して、すぐに回収に来るからこのままにして欲しいという旨と、23日にもう1回こういうことになるということを言って、その場を収めた。23日にも一悶着ありそうで、すこし憂鬱になる。反省して必要以上のものを買わないといっても、完璧にはできないもので、粗大ごみが出たら1つずつ捨ていくのが平和であることを学んだ。もう前の家にはほとんど戻らないので、何があろうと乗り切ってしまおうと思う。
 また今日は平日なので、転出届と転入届をそれぞれの区役所に提出した。またぼくは運転免許証を持っておらずパスポートも期限が切れてしまったので、住民基本台帳カードを作る手続きもしたいと思っている。顔写真付きの住基カードがあれば、健康保険証以外の身分証明としては十分だろう。

 あとは途中休憩しつつプロバイダを解約したりiPhone6を触ってきたりと、外を歩き回り帰ってきたところで、映画「フォレスト・ガンプ」を観ることにした。この「フォレスト・ガンプ」は一度は見たことがあったと記憶していたが、一度も観たことがないことがわかった。観たことがあるという映画は、何か他の似た映画と間違えているかもしれないけれど、まったく思い出せない。

 映画のなかで、フォレスト・ガンプがアメリカの50年代~80年代の重要な歴史の場面に顔を出して、さらには有名になっていく姿がいちいち面白い。「一期一会」というサブタイトル(?)がついているように、本人の意思とは関係なく、また本人の理解なども関係なく、フォレスト・ガンプラグビー選手で有名になり、ベトナム戦争に行き、卓球で有名になって、エビ漁で億万長者になる。そして自分の子供ができる。特にベトナム戦争以降は、ババや少尉などパートナーとなる人物とのすれ違いと、それに伴って友情も強固になっていく場面が感動する。元々幼なじみのジェニーとはずっとすれ違いっぱなしであり、ジェニーが人生の物足りなさをドラッグ・セックス・ロックで埋め合わせ、最後は若くして病死するという生き方をして、フォレスト・ガンプは自分の意思とは関係なくアメリカンドリームを叶えるという究極の対比が、最後ジェニーの墓の前でフォレスト・ガンプがつぶやく「どんな生き方が正しいの分からない」という言葉を生んでいる。フォレスト・ガンプは、IQは低いけれど、それが故に正しいと思う行動することができ、相手のことがわからないときには自分が動けないと言うことにも正直だったのだ。確実に悪い方向に進んでいるジェニーを無理をしてでも離さないという行動が取れなかった。そして最後、それまで目の前につきつけられてきたジェニーやその他の人たちの生き方に対して、正しく「分からない」と考え吐露することができた。
 映画はフォレスト・ガンプの視点で描かれているので、傷ついて人生が止まるくらいにどうしようなくなることがなければ、周りに悪人も出てこない。延々走り続けていた時期が人生の停滞といえるのかもしれないが、走り続けているときに思い出すことは「前に進むためには過去を捨て去らなければならない」という母の言葉であった。
 人生の転機は自分の手のみで切り拓くものではない。見逃しているだけなのかもしれないと思う。未来の自分に過去など関係ない。もうすぐ終わる一連の引越し作業で過去を整理できれば、ぼくの人生も切り開けるかもしれないと思うことができた。