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むかし作ったMDが捨てられない。

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 音楽を録音するカセットからMD、CD-R、ベータやVHSからDVDと、ぼくは民生用の記録媒体のの変遷をそのまま生きてきたような世代である。ふと思い出す度に、互換性のなさというものを受け入れてきたのだと、いまさらながら思う。つまり再生する機器がなくなったら、持っている媒体の中身を確認することができなくなるということだ。
 ぼくは音楽が好きでCDをたくさん持っているのだけれど、同時にCDを中心にして、カセットやMDもたくさん作ってきた。そのカセットやMDはマイベストみたいなものを作るために使っていて、またレンタルすることを覚えてからはレンタルしたCDを録音するためにも使っていた。
 最近、身の回りのものを片付けをしていると大量のMDが出てきて、そのMDをSONYのポータブルMDの最終機MZ-RH1を使って聞き直したりしている。かつて自分が作っていたMDのケースには手書きでトラックリストが書かれていて、こういうことを丁寧にやっていたのだと思い出す。思い出すといっても、正直、記憶にないことなのだけれど。
 今はハードディスクにどんどん貯めてしまえるし、ポータブルプレイヤーも物理的に入れ替えるものがないメモリ型となっている。CDをパソコンでリッピングしてflacやmp3に変換して、ポータブルプレイヤーにデータをコピーするだけで、外に持ち出す準備が終わる。外で聴きたい曲をMDの容量(74分や80分)を考えて選んだり、再生時間の2倍速とかでMDに記録されるのを待って、また違うCDに入れ替えて追記したり、さらに手書きでトラックリストを書いたり、時間をかけてやることは、もうない。
 ぼくはそんな風に作ってきたMDを捨てられないでいる。聴きたい曲を選択して1枚のMDにしたということそのものに、自分だけの価値を感じている。CDから好きな曲を選択してMDに記録するという行為そのものがクリエイティブな作業だったのだと思う。