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「物」を持つことの価値観の変化

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 資本主義は想定どおり貧富の差を明確にしてきている。資本主義の象徴であるアメリカから始まり、日本も遅れてやってきている。そしてアジアの新興国はこれから同じような道を辿るかもしれない。

 先進諸国のこれからは、消費のされ方が変化するという。「欲しい物」が、本当に欲しい物かを考えさせるような、消費することが前提だった生活に変化が訪れようとしている。なぜそういうことになるかというと、今すでに貧困にあえいでいたり、またまだ貧困でない人も、貧富の入れ替わりに不安だからである。不安がない人は今まで通り、欲しいと思った物を買って使うことより所有することに満足していくことになるが、そういう人の割合が減ってくるということだ。
 ぼくの消費に対する実感を書くとするならば、お金はあるだけ使ってきたということになるだろう。何回は書いたかも知れないが、ここ10年のうちの最初の5年はとにかく物が増えていった。4畳半の1部屋が荷物で溢れ返るくらいにはなっていたと思う。服や本、パソコン、オーディオ、謎の物体に溢れていた。しかし写真が残っていないのが少しもったいないくらいに、ほとんどの物を処分してしまった。あるときなぜか、この状況はおかしいと気づき、自分の目で見たことがないと思うような物、忘れていた物、年単位で開けていない箱などを淡々と捨てていった。そして今はゴミに捨てられない大物を除いて4畳半の1部屋に住めるくらいに物が減っている。新しい物を買ったら処分する。好きな物のうち手に取り見ることで自分を癒すことができる物以外は、処分するかトランクルームサービスのminikuraに一時保管する。正直これらを考えて生活する労力も馬鹿にならないので、自分にとっての「物の価値」というのは多少時間をかけてでも考えた方がいいと考えている。
 お金をあまり使わない生活になりつつも貯蓄はせずに、自分の生活を営む以上に持っているお金は全て投資信託に移行させている。単純に貯蓄をするのではなく、最悪なくなってしまってもしかたないと思っているので、使っているという考え方にしている。今後は引っ越しなどで家賃が高くなる予定なので、投資信託に使うお金は減るだろう。
 日本人で消費に対して面白いことを実践していると思う一人に、ゆるりまいという人がいる。ゆるりまいは「わたしのウチには、なんにもない。」シリーズの著者で、とにかく「なんにもない」を目指して生活をしている。「生活感がない家」がコンセプトであり、過去の物に溢れた暮らしから、すっきり何もない家になっていく道筋やその努力がコミックエッセイとなっていた。
 しかし実は物を持っていないわけではないというのが、徐々に分かってきている。最新刊では、よくわからない拘りで持っているたくさんの物を紹介している。実際は生活感がない家にするために収納スペースを多くすることにより、丁寧に物を保管しているようだ。当初「なんにもない」一直線だったはずが、実は彼女なりの価値観で物を持っていることがわかり、田舎暮らしなどのキーワードも含めて、これから増える消費の姿の典型になるのではと考え始めている。