書くことで仮説を立て、話すことで洗練される。

 ブログに書いたり、人に聞いたりすることと、自分で人に話すことは違う。話すことが最も高度であり、話すことが本物である。それに対して、書くことの多くは偽物であり、嘘も少なくない。

 偽物や嘘というのは、口に出すには憚れること、いざとなったら口に出せないことも含まれる。言いよどむようなことは、偽物だ。しかし、だからこそ、文章は文章としての魅力が大いにある。
 一部のノンフィクション、新聞などを除いて、物語に本当のことなど求めていない。人はフィクションが好きなのだ。フィクションを求めて止まない。もしくは自分には関係の無い、芸能人のスキャンダルのような、フィクションのような現実もまた、人が求めているものである。
 ぼくはブログで書いたことをきっかけに、すこし人間的にも開けてきたような気がしている。すこしだけ素直になれてきたかもしれない。それでも口に出すまでは、本物になれない。人に話すことができ、何かしらの反応を得る。それでも変わらないのか、もしくは変わるのかを知ることで、本物に近づいていく。
 書くことで仮説を立て、話すことで検証される。その繰り返しで、ぼくの思考は洗練されていくのだ。