読書を楽しみ、乱読しよう。/「乱読のセレンディピティ」(外山滋比古)

 今日読んでいた本のなかで偶然、とある雑誌で成毛眞が言っていることと、外山滋比古の「乱読のセレンディピティ」に書かれている、読書のスタンスがとても似ていた。普段から考えていれば、自然とその答えめいたものへ吸い寄せられていくのだろうか。

 成毛眞は自他共に認める読書家であり「NONZ」という大きな書評サイトを運営していて、外山滋比古は元大学教授、学者であり、40年以上作家もやっている。そんな二人の読書に対するスタンスとして、次のようなものがあった。一例であるが、ほぼ同じ事を言っているのだ。
 ・読書は人生の楽しみである
 ・メモを取ったり線を引いたりするな
 ・全部読もうとするな
 ・乱読せよ
 これらはぼくが読書をする上で思うことについて、はっきりと答えを示してくれている。メモを取っている時間があったら、もう1冊似たような本を読んで記憶を強化した方がいいと思っていたり、知っていることがあったら飛ばして読んでいた。そして、限りある時間のなかでたくさんの本を読みたいとも思っていた。しかしたまに名言集みたいなものを作ってみたり、ブログを書くのにもう一度読んでみたりしてしまい、どうしたものかと思っていたのだ。
 ぼくはブログに書くことが思いつかないとき、本を読んだときのメモをひっぱりだしてネタを探したりしていた。そうやってみつけたネタを元に何かを書こうとすると、自分が書く文章の流れに沿わないことがあり、結果的にまったく関係のないことを書いてしまうことが多かった。これはこれで面白いなと思うのだけれど、正直、読書のメモを振り返ることにほとんど意味はないのだと思う。
 ぼくにとって、本当に必要なことはきちんと覚えている。もし人と会話をするとしたら覚えていることしか使えないわけで、だからといって書くときまで記憶に頼ることはないのかもしれないけれど、覚えていることこそ書くべきことなのだとも思う。メモをひっぱりだして書くようなものは、書かされているようなものだ。
 読書の話しから書くことの話しへと変わってしまったけれど、これからもますますたくさん読んで、たくさん書いていきたい。