物欲がなくなり、物を持つことが趣味になろうとしている。

 ぼくは物欲がなくなっている。それはシンプルな生活をしたいとか、物を持っていても使わないことに気づいたとか、物を見るとその物について考えてしまうとか、理由をあれこれ考えていたのだけれど、もっと単純なことがわかったかもしれない。それは、物欲がなくても、持っていたいものがあるということの理由にも繋がっている。

 
 物が欲しくない理由は、その物の価値がない、またはやがて価値がなくなることが分かってしまうからだった。とはいっても、ぼくは物の価値について語ることができない。なぜならぼくは今まで価値を感じて物を買っていなかったからである。今のように価値を考え始めてからというものの、その頃の自分が何を思い物を買っていたかをうまく思い出すことができない。家に持って帰りたいから買う、家でゆっくり眺めたいから買う、みたいな感じだったのだろうか。
 例えばiPhone。かつてはSoftBankの1社からしか買うことができず、割引を使っても本体費用がかかるなど、今に比べれば決して安い物ではなかった。しかし今は、大手3社が販売するようになり価格競争に陥ったことで、本体が無料に近づいていった。ぼくは本能的に無料の物に価値を見出せないのか、iPhoneを持ち物としての価値が見出せなくなっている。もし買うとしたら、まだ本体が無料にならない発売後すぐに買わなければ意味がないし、だいぶ前にブログに書いた、1ヶ月在庫がなくて買えなければ買わないと決めているのは、そういうことだった。iPhoneだけでなく携帯業界はそのサイクルが極端に早いのだが、携帯以外の物も、同じ論理で物の価値は急速になくなっていく。
 他に出版業界の小説を考えると、インターネットの小説投稿サイトにある無料で読める小説で満足できる人が多くなっているため、本の小説を買う人が減っている。元々小説を買う気がない人はおいておいて、今まで買っていた人も、本を読める時間に変わりがない以上、無料の小説を読むということは本の小説を買う量が減るということになる。無料の小説のおかげで本を買うようになった人がいたとしても、減った量を超えるとは到底思えない。あと出版業界でいえば同じように雑誌がインターネットに、新聞もインターネットに、とインターネットは既存の産業の価値をどんどん下げている。価値が下がれば売り上げが減り、労働者に分配される給料が減り、会社が減り労働者も減る。つまり社会から出版関連の仕事がなくなるのだ。
 それではインターネット上に仕事ができるのではと思いきや、インターネットで代替できるようになってしまった仕事は、元々あった仕事量よりも圧倒的に少ない。小説投稿サイトなど、一度システム化してしまえば勝手に小説が上がってくるわけで、危ない小説を削除するなどの人的作業はあるのだろうが、出版業界に携わる人の数に比べたら、極端に少ない。
 逆に、毛色が変わるが、消耗品は分かりやすくて、その物の価値を使い切ることが分かっているから、いつでも何も考えずに買うことができる。

 今のところインターネットで代替できない物には価値が残っている物が多い。価値がないものでも持っていたいという反論には、そういうものには価値があるということになる。しかし世の中にそういう物は減ってきていると思うと、消耗品を除いて、物を持つということ自体が趣味となっていく時代が来ているのかもしれない。