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映画「二十四の瞳」を観た。

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 昨日の夜と今日の夜、2日に分けて映画「二十四の瞳」を観た。何度も映像化されているようであるが、ぼくが観たのは1954年に公開されたオリジナルの2007年デジタルリマスター版である。音声も聞こえやすくしてあるようだが、字幕と一緒に観ることにした。
 
 映画では、時代の空気感がとても伝わってきて、これはもう歴史的な遺産だと思う。これがたった60年前の風景だと思うと、今という時代の空気も、10年もすれば大きく変わるのだろうと想像できる。映画のなかでも「10年をひと区切りとするならば」という言葉があり、昭和3年から昭和21年の18年間を描いている。世界恐慌前の生活、戦時中の生活、戦後すぐの生活が、その時期を生きてきた原作者(壺井栄)や映画制作者の手で描かれている。戦後7年でこのような小説が生まれ、その2年後に映画が出来上がるというのも、敗戦国がとんでもないスピードで普通の国になっていったということを物語っていると思う。
 
 物語では、主人公の大石先生を通じて、戦争に対する思いがはっきりと描かれている。原作者の壺井栄は女性だが、それに共感したのは男性の監督、木下惠介である。女性の視点でこそ書かれているが、それを映像化したのが男性であるということも、戦争が終わったことを如実に示していると思う。
 
 そして戦争当時はそんな個人の思想など関係なく、社会は戦争を選んだ。人を動かすのは人でしかない。当時の日本人は、今でこそ嘘だと思うような思想を何も知らずに信じている。それは、今のぼくたちは、本当のことを知らずに常識としていることと何一つ変わりない。今は常識を疑えなんてことをいっていると、面倒くさいことになるくらいで済むが、当時はそんなことを人に知れると権力から弾圧を受ける。
 
 映画に出てくる数々の感動の場面は、必要不可欠なフィクションとして存在するが、感動を呼ぶための悲劇や不幸はノンフィクションであり得た場面であり、またきっと映画の場面なんかよりもっと酷かったのだろうと思う。それだけで胸が痛むし、出演者の言葉や表情に釘付けになる。ぼくは感想としては単純かもしれないけれど、こんな時が二度と来ないで欲しいと願っている。