何度でも自分を捉え直す。

 流行だろうと関係ない。ようやく自分が信じられるかもしれない心理学に出会ったのだ。
 ぼくはアドラー心理学に出会ってから、今まで心理学としてみていたものが、すこしも理解できていなかったことに気づいた。なぜなら、アドラー心理学があまりにも理解できてしまうからである。理解できるというのは、積極的に理解したい、信じたいという意味だ。
 今までぼくは何度も、過去と現在、今と未来の時間的感覚について思うままに書いてきた。たとえば、2013年の10月は、時間についていくつか書いていて、そのまとめみたいなものを最後に書いていた。2013/10/30「未来を作る過去、そして今」 http://exp.hatenablog.jp/entry/2013/10/30/231126
 実はこの記事、かなり前に一度書いたもののブラッシュアップだった。アドラーを知った今は、もっと他の書き方があるだろうと思うけれど、何回も書きたいくらいに渾身の思いだったことは確かだ。
 ぼくはブログなどにあえて書くくらいに、過去と現在、今と未来というものをどうしても考えてしまい、そのたびに考えることをやめていたのだと思う。
 それが今は、思い出せる過去ならば、自分なりにもう一度解釈し直したいと思うようになった。今の自分を助けるために、自分の未来をつくるために、常に新しい自分を介して理解していきたい。自分に一番近い他者は自分なのだ。
 さらにこれからは、自分をもっと面白がりたい。それには純粋に、喜びや悲しみを捉え直す勇気が必要だ。ぼくの持つ冷静さが、心を抑圧して自分を観察することを鈍らせる。いちいち過去に傷ついたり喜んだりしていたら体や心がもたないから。
 今のぼくは誰にも傷つけられないし、喜びが与えれることがない。だから自分自身を使うしか方法がない。それでもきっと、ぼくを傷つけたり喜ばせたりする誰かがいたとしても、傷つくのはぼく自身で、喜ぶのもぼく自身だということを信じて、いつかくる自分が自分のことを面白がれるようになっていたい。