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映画「ノーカントリー」を観た。

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 映画「ノーカントリー」を観た。

 邦題は「ノーカントリー」だが、英語のタイトルは「No Country for old men」、日本語に訳すと「老人が住む国はない」である。
 
 舞台は1980年代の西テキサス州で、ジャンルはメキシコとの国境がある西テキサスという土地と当時の世情を元にしたサスペンス映画だろうか。しかし映画のタイトルを顧みると、これは退職間近の保安官(ベル)の新しい時代の犯罪についていけずに辞職を決意する悲哀の物語が主題であると捉えるべきだろうか。

 その物語の中心であるはずの保安官は、事件に巻き込まれる家族思いの田舎者モカと正体不明の殺人鬼シガーとは物語のなかで一切接触しない。シガーはモカを追っているので関係しているが、保安官は理解不能な事件としか関係することができない。保安官の場面は、全て浮いているのだ。 

 保安官の日記の最後の言葉を引用すれば、登場人物すべてにとって、自分は「世界の一部」である。人はそれぞれ見ている世界が違う、それをそのまま描いているような映画である。
  
 物語はめくるめく展開で目を離すことができない。描かれる人物が入れ替わる度に、様々な感情が表れる。正義、悪、暴力、恐怖、謎、勇気、絶望、希望、悲哀、愛情、平凡、家族(妻、夫、妻の母・夫の義母)。登場人物同士が同じ画面に出てくることが少ないため、登場人物がみな他の人物の行動や状況を正確に知ることができず、つまり違うものを見ていることによる、ちょっとしたズレのようなものが最高に面白い。 

 そしてとても現実的な物語のようにも思う。恐らく今この瞬間、ぼくのいる世界だって、平凡な世界と暴力の世界は並行に存在するだろう。物語では平凡な世界のモカが暴力の世界に足を踏み入れてしまったことがきっかけで、平凡な世界の古い保安官の正義が、新しい暴力の世界の悪に近づくこともできかったという現実を描いている。

 またこの映画は小説が原作だと知って、これは小説をできるだけ忠実に描いているのだろうと考えた。2時間で誰かの物語を完結させることを目的として登場人物同士の感情や行動の絡みを継ぎ足してしまったら、この作品の面白さはなくなってしまうだろう。海外の小説はあまり読んでこなかったけれど、この作品がどう描かれているか読んでみたいと思った。