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主語の違和感

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 Twitterなどに流れている無差別に突っ込まれたりまとめられている発言は、主語がおかしいものが多い。主語が「私」ではなくて、「みんな」とか「業界」とか「社会」とか、自分自身に興味を注がれないようにするから、ちょっとした一文が攻撃の対象なってしまって、本当に言いたかったであろうことは潰されてしまっている。
 「私」を主語にすると、意見をする側も自分を主語にしなければ相手にされない。また「私」を主語にした人は、他人事の意見を言われても意に介する必要がない。
 ぼくもこうやって多少は攻撃的なことを考えてしまうわけだけど、主語がおかしい人のほとんどが分かってないというか、「そんなことない」と言うのだと予想している。他人事の意見が「私」の意見なんだと、そう反論されるのだろう。しかしぼくは、他人事の意見を言えるのは、他人に影響できる立場の人や問題の当事者だけだと思っている。もちろん自分の発言の影響力を考えられる人は、他人事な発言なんてしないと思うけれど。
 同じように、専門家と素人の違いや、マスコミによる情報発信とTwitterによる拡散の違いとは、立場や語り口、文脈だと思っている。素人が専門家っぽい発言をしたり、またその逆だったり、その辺を間違えてしまうと、偶然それを見た人が違和感を感じてしまう。
 ぼくなりにこういう状況をどうしたらいいのかと思い書き始めたけれど、結論まで辿り着かず、今のところは自分の捉え方次第しかいえない。教育の問題とか言い始めると、ぼくにはどうしようもないし、もっと身近な、誰にでもできるなにかを見つけるまでは、違和感のあるものを自分なりに受け流すようにしていきたいと思う。