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常識を疑う、その前に。

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 このブログに関わらず、人の思考への興味などからブログを読むような人であれば、「常識を疑え」というようなことを読んだり聞いたりすることがあるだろうと想像する。「常識」に縛られる生活のなかで、誰かが刺激的なことを言っていたり、気持ちがスカッとするような物言いを見つけては、ふむふむと気を休める。はたまた、変なこと言っている人はいないか、叩けるやつはいないかと、虎視眈々とTwitterやブログを見て回り、気を荒げて憂さ晴らしをする人もいるだろう。
 ぼくは「常識を疑え」という言葉を見ると、まず「常識とは何か」を知らなければならないと思わされる。それは、ぼく自身が常識を知らないことを分かっているからである。常識を知らないことがなぜ分かるかというと、今まで常識を知ろうという努力をしてこなかったからだ。
 自分が常識を知らないと、誰かが言っている「常識の疑い方」を聞いたところで、まともな理解などできない。自分が常識とも思っていなかったことを他人が疑っているということを通じて、「疑うべき常識」として理解することになる。
 このように常識を疑うということを常識にすることは間違っている。それで非常識な人たちばかりになると言いたいのではない。常識を知らないままに疑うことだけを覚えてしまうことが良くないと思っている。ぼく自身がそういう人の話しを聞きたくないということと、もしかしたらぼくもそうなってはいないかという自戒も含めて。