「あなた」と「きみ」

 ぼくはどういうわけか、モテない。理由はいくら探しても思いつかない。こともないのだけれど、モテなくてもいいなんてことはひとつぶも思っていないわけで、できれば毎日女の子と会うのが忙しくてブログを書く時間なんてなくなっちゃった、と、へらへらしたいわけである。
 Twitterには自分の食事しか写らないように気を使っているようで、明らかに向かいの席に人の気配があるような写真を撮ってアップしたりしたい。Instagramなんかには、「君と見た景色」とか「あなたに会いたい」などどいうコメント付きでふんわりした風景をアップしたい。
 
 こんなことを書きたいのではなかった。
 
 ぼくは、誰かのことを表す「あなた」とか「きみ」という言葉が苦手だ。「あなた」とか「きみ」という単語自体、英単語のYouを訳すときぐらいにしか利用用途がないのではないか。日本語として必要がないとさえ思っている。人々は「あなた」や「きみ」という言葉をどうやって覚えてきたのだろうか。
 人がどんな言葉を使おうとしかたがないのだけれど、「あなた」や「きみ」という言葉には妙な強さのようなものを感じないだろうか。あとに続く言葉との結びつき。誰かに宛てた手紙を拾い読んだ人が呪われるような。そんな感じさえしてしまう。