真理を求めること。

「真理だとされていること」よりも、「真理だと信じられていること」のほうを受け入れる。とは、ニーチェの言葉だっただろうか。いわゆる「常識」の枠にあることは、この「真理だと信じられていること」である。
 考えるという行為は、あらかじめ決まっていることについて頭を使うことである。アイディアとはすでにあるものの組み合わせである。すでにあるものが、いつどのようにあらわれたのかを探っていくことで、ものごとの真理に辿り着くことができるだろうか。しかし真理というものは、嫌われてしまう傾向にある。真理に辿り着いてしまうと、考えていることがうさんくさくなってくるから、それに耐えられなくなるのだろう。考えたことを無駄にしたくない。従ってきた常識を否定されたくない。自分で考えるのが面倒だから、すでにあるものでなんとかしているのに邪魔するなと思う。
 そんなぼくも仕事をしているときは、生産性と品質を担保するために、できることしかやりたくないと思ってしまう。会社で働くことで支払われる給料は生産性や成果によるものではなく労働力であるという事実に戻れば、頭を使うのではなくて、もっとひとつひとつ仕事に対して真理に迫るようなことができないかと思う。しかしそれに気づくと、やっている仕事の社会への影響力のなさや自分の力の矮小さに気づいてしまい、やりきれなくなりそうだ。