もやもやしているときは片付けを。

 止まない雨のせいか、もやもやしている。こんなときは部屋の片付けをするのがいい。疲れずに、でも何かをしている実感を得ながら時が過ぎていく。

 ぼくにとって片付けとは、物の処分である。掃除は、家全体に掃除の道を通した今、クイックルワイパーをかけても10分程度で終わってしまう。物の処分を進めてきたなかで、服を含む消耗品については新しい物を買ったら古い物を捨てるというサイクルになっていて、あまり物が増えないようになってきている。大量にあった本についても処理が終わっていて、決めたスペースに収まらなくなった本は電子化するサイクルになっている。
 そして最後、今まで手をつけられずにいたのが、CDやDVDであった。中学生のころに出会って以来、唯一の趣味といっていいくらい買い続けてきた。今でこそレンタルやダウンロードでの購入を駆使して年に数枚しか買わなくなったけれど、学生の頃は新盤、中古関わらず、欲しいCDは全て買い集めてきたといっても過言ではない。
 そして物としてのCDやDVDは場所を取る。CDやDVDのケースを省スペース化するケースを駆使してきたけれど、相当量の容積になってしまっていた。衣装ケース10ケース分くらいだろうか。押し入れの半分を締めていた。今日からそのCDやDVDのさらなる省スペース化に踏み切った。こういうときにしか確認しない物など、本当は捨ててしまっても良いのかもしれないが、思い入れがあるということもあり、捨てるかどうかは次の段階に先送りにする。まずはデジタル化が済んでいない物を特定してデジタル化する。今のところはマスターとなる物は残すが、念のためバックアップを取るためにハードディスクを買い足さなければならない。省スペース化するケースに入れているCDやDVDをそのケースから出して、媒体はスピンドルケースに積み重ねて、ジャケットとブックレットはクリアケースにまとめていく。特殊なパッケージだけ、今のところはそのままにしている。
 
 好きな物を見るのは楽しい。懐かしい音楽を聴くのも、とても気持ちいい。今はネットワークオーディオもオーディオ機器のなかで一般的になってきている。最近日本でも使えるようになったiTunes Match、以前あったAudio Galaxyのようなサービスを使えば、音源データさえ持っていれば、いつでもどこでも自分が持っている全ての音楽ライブラリにアクセスできるようにもなってきた。しかしもうぼくは一生かけても聴ききれないくらいのデータを持っているような気がする。
 ぼくが物を捨てていくことによって、物理的に物がなくなっていく。本やCDのようにデジタルデータ化したとしても、それはいつか消えてしまうかもしれない。保存したフォーマットでは利用できなくなるかもしれない。しかしいくら物を大事に持っていたとしても、それを見たり聴いたりしなければ、持っていないことと同じようなものだ。
 持っていたという事実を残しておくことで人生の足跡にする。足跡を振り返るために物を残していく。人間の本能、感情の問題なのだろうか。自分の意思で、全部捨ててしまえ!ということができない。そういう精神に抗うわけではないけれど、自分が生きやすくなるように、これからも物を減らしていきたいと思う。