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想像力を広げて創造力を高めたい。

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 ニュース(実際の出来事)の本質を読み解き、フィクション(物語)のアイディアにするということについて、はてなブックマークでコメント(感想・意見)をいただいたので、すこし考えてみた。コメントはぼく個人に対する問いかけではないため転載はやめておく。

 自分が生活している社会の本質を物語に昇華させることは、創作方法としては、たしかに稚拙かもしれない。この物語は○○の事件や犯人を参考にしました。と、裏側を語ってしまえば、稚拙にも見えるだろう。それでももし「創作とは今まで誰も見たことがないものを生み出すことだ」というのであれば、ぼくは今まで見たことがないものが人の心に響くわけがないと考えているので、話は噛み合わない。ただ、人の心を響かせたことがない自分が創作について語ること自体、どこか嘘っぽくて格好が悪いとは思う。いつかこれが格好が悪くなかったと言えるようにやっていきたい。

 ブログもそうだしフィクションを書こうとすると、どうしても自分のなかにあるものしか書けない。だから、頭が良くて勉強も仕事もできて男や女にモテまくる、そんな人物しか書けない……。なんというか、狂気や愛憎といった生々しい人間を描くことが出来ない。想像できる人物像の幅が狭すぎる。
 「物語は作者のものでも読者のものではない、物語のなかの人たちのものだ」という新井素子の言葉に感銘を受けて、ことあるごとに思い出しているのだけど、ともすれば登場人物がただの良い人間になってしまう。
 こんなぼくにフィクションを書くスキルがあるかというと厳しいのかもしれないけれど、結果は書き続けたあとにしかわからない。実際は「ないことを証明することは不可能である」ということであり、「見たことがないものは、ないと言わざるを得ない」ということでもある。ぼくが書いた小説が100年後に読まれている可能性はゼロではないという言い方をすれば、誰も100年後のことを証明することはできない。とてもくだらない。しかしくだらないことでワイワイやっているのが現実なのだ。
 ぼくは「こんな社会はくだらない」とか「人殺しは許せない」という当たり前のことを主張することに意味はないと思っていて、そんなことは身近な人に愚痴っていればいい。それよりも自分の世界の外、社会と全く関係のない場所に物語が必要だと思っていて、ぼく以外の人にも自分の世界の外に物語を求めている人がいると信じている。別に、くだらない社会やどうしようもない犯罪者を物語のなかで懲らしめたりするわけではない。人間が人間らしく生きる様を描きたい。その舞台が恋のお話でもタイムトラベルSFでも殺人ミステリでもなんでもいい。ぼくはもっと色々なことを知り想像力の幅を広げて、創造力を高めていきたい。