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希望も絶望も笑い飛ばせ。 / 「希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話」 

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 「希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話」 がとても面白かった。ゲーテカフカは同時代を生きたわけではなく、カフカゲーテよりも後の世代の人物であり、擬似的に対話させるという体裁をとっている。当然、希望名人と絶望名人の対話なので、禅問答のような、本当に対話したら、お互いの考えがどういう風に発展するのか想像もつかなくて面白い。カフカゲーテの書物を読んでいたというから、ゲーテの影響を受けて、絶望を主張していたのかもしれない。

 また本書の中では、希望の言葉も絶望の言葉も、書物や日記、手紙などから印象的な部分だけを抜き出しているから仕方ないことなのだが、しらじらしく見える。Twitterみたいなもので、前後関係がないから言葉だけがズンとくる。ぼくはこういう、名言集のような本はあまり好きではなかったのだけれど、本書は言葉のあとの解説も面白くて、最後まで楽しむことができた。

 カフカについては延々絶望の言葉を紹介されているのだけれど、そのほとんどが恋人や友人への手紙だというのがすごい。恋人に「フランツは生きることができません。フランツには生きる能力がないのです」なんて言われていて、カフカおまえはなんなんだ!と、爆笑してしまった。カフカは普通のサラリーマンで生涯を終えていて、生前からの友人の努力により作品が後世に残っている。生きている間に成功せずに結婚もしなかったが故に、希望の言葉を手にすることができなかったと思うかもしれないが、それも少し違うとぼくは思う。友人に本を出版されそうになった際、出版社の編集者に対して「出版していただくよりも、原稿を送り返していただくほうが、あなたにずっと感謝することになります」とか言ってしまうあたり、他人には希望とするものも、絶望として捉えていたところもあるだろう。カフカは希望を知らないわけではない。しかし希望の求め方を知らない。だからこそ、カフカの書く絶望が、しらじらしく見えるのかもしれない。

 ゲーテはどちらかというと、自らが希望の持ち主であることから、その希望を作品に活かしているところが多い。ゲーテの希望の言葉は、誰か特定の人に宛てたものというより、ゲーテ自身の言葉か、作品からの引用が多い。カフカが特定の人に宛てた閉じた言葉だったことに対して、ゲーテは開かれた言葉ということだろうか。

 ゲーテは自らの役人や政治家としての生活も自身の作品に活かすためにやっているのだと捉えている。逆にカフカはパンを食べるための仕事は人生の邪魔だと言っている。その人生自体が絶望だと言っているのに、仕事が邪魔だといっている。同じ働くということさえも、このように真逆なのだ。

 2人の希望と絶望は極端ではあるけれど、最初にTwitterみたいなものと書いたとおり、ゲーテカフカのような希望や絶望は、現代でも溢れている。それは普通の人がポエムを書くような痛みさえ感じるものだ。中途半端という言い方を変えるならば、普通の人は希望も絶望もうまく調整できて、その中間くらいでいるということだ。本書の前書きに次のような趣旨が書かれている、希望だけが書かれた本は元気がないときに読むと疲れて逆効果になることがあるから、気持ちが塞いでいるときに絶望に共感することも含めて、その中間に落ち着けばいい。

 ぼくはこの本をとにかく面白おかしく読んでしまったということで、希望も絶望も笑い飛ばすという形で調整された。そしてこれからは、自分自身を笑い飛ばせればいい。