過去の自分に言ってあげたいことなどない。

 「20代の教科書」、「30歳までにやっておきたいこと」のような、または「大学生のころの自分に教えてあげたかったこと」(すべて仮称)というような、ある年代、立場に向けて書かれたであろう本やブログがあるが、ぼくはこの手の自己啓発に懐疑的である。

 つまりこれは、子供に対して、「ダメな大人にならないように勉強しなさい」と言っていることの延長でしかない。もちろんあの手この手で伝えようと工夫して売れようと努力することは、親が子供に小言を言うこととは少し違う。悪い言い方をすれば、あかの他人から言われると上から目線で反論の余地がないし、さらに言えば洗脳に近い。

 自分を省みて、若いころにそれを知っていたところで何か変わることができただろうか。そういう想像をしたことがあるのだろうか。本当は、「あの頃の自分に教えてあげたいこと」ではなくて「今の自分が後悔していること」でしかないのではないかと思う。ぼくは自分が後悔していることを若い人にまるで教訓的に伝えることは、あまり良いことではないと思っている。それは若い人への貢献にはならない。

 ならどうしたらいいのか。言ってあげたい気持ち、役に立ちたい気持ちは、どうしても出てきてしまう。そういうときは、今の自分を見せるしかないと思っている。過去を振り返って、もう一度チャレンジしている自分を見せる。それでしか、若い人というか、他人には伝わらない。

 もちろん、それができないから本やブログにして伝えることを選んでいる人もいる。本もブログも著者や出版社にしてみれば、文字として文章として世に放つことが目的であるから、それ自体を良い悪いというより、提供する人と、それらを受け取ろうとする人の目的の問題でもあるのだ。

 自分の行動の結果は先取りできない。先人と同じ成功ができないように、先人と同じ後悔もできない。状況も異なれば、感情も異なる。成功の考え方、後悔の考え方も違う。言ってしまえば、先人に後悔することを教えられることで、先手を打つことはできるだろう。それで同じ失敗はしないかもしれないけれど、後悔しないように生きる人生は、結局後悔することになるのだ。なぜなら、「後悔していないか?」と振り返って「後悔はなかった」と答えられる人間はそういないし、そういう人間はそもそも自己啓発になど関心がない。

 それでは、できるだけ後悔のない人生はあるのだろうか。あるとしたら、さきほど少し書いたが、常にやり直すということだと思っている。上手くいかなかったことは、反省や後悔に気を取られる前に、やり直してしまえばいい。過去を取り戻そうとしなければ、未来を先取りすることもない。いつやるの?今でしょ!的なことを言っている気がするけれど、そういうことだと思う。